本研究は、必ずしも小津の直筆の入らない資料も対象として、小津安二郎および小津の映画の制作過程を検討する試みである。従来手付かずであった資料の読解も鍵となる。最終年度では本課題に即した成果を得られた。脚本家野田高梧の遺した手帳に、1963年、病床にあった小津の記録が記述されていたことの発見およびその翻刻である。野田による記録は、同年の小津を知る上で貴重な手掛かりとなると考えられた。成果は次の3点にまとめられる。1)本日記の存在を明らかにし、小津の入院から逝去までの記録をはじめて翻刻した。2)野田の記録から、小津の次回作への意欲や入院時の具体的なことば、人との関わりを確認した。3)本手帳を所蔵する新・雲呼荘 野田高梧記念 蓼科シナリオ研究所理事山内美智子氏の了承を得て、山内氏と内容を共有し情報を公開した。読売新聞、稲盛財団ウェブサイトなどで翻刻の内容や野田の日記の意義が報じられただけでなく、国外では小津の特別上映が開催された米国・アカデミー映画博物館で研究の成果を紹介し、大きな反響を得た。 関係者の協力を得ながら、全研究期間を通じて研究を概ね順調に進められた。小津安二郎直筆資料群を各種資料と検討しながら、小津や小津映画と関係した人物の関与の実態、当時の小津映画の位置付けを明らかにすることができた。ただし、本研究で重点的に検討を重ねられたのは、比較的資料の多い『麥秋』や『早春』制作時の記録である。他の作品ではどうか、引き続き綿密な調査を続けてゆくことが課題となる。 以上の成果を学術論文やポスター発表・口頭発表として報告するだけでなく、鎌倉市川喜多映画記念館や三重県松阪市産業振興センターなどでの一般向け上映会・トークイベントなどで報告した。今後も資料の記述やそこに記述されていない事柄、いまだ所在が明らかでない資料にも配慮しながら、調査を続けていきたい。
|