1920年代半ばから1940年代はじめまで、帝国日本の検閲システムは、内地―朝鮮―台湾―満洲を繋ぐ形で膨大なデータ網を構築しながら拡張した。日本語が植民地において抑圧の道具であったという理解では、内地では流通が許可されていた日本語書物の搬入を、なぜ朝鮮総督府が必死になって阻止しようとしていたのかが読めない。また、検閲の暴力的な側面だけにとらわれると、情報統制のデータ網に痕跡を残さない形で、日本帝国の法域を潜り抜けるための「闇ルート」が機能していたことを見落とすことになる。本研究は、これらの側面を同時に捉えながら、帝国日本の読書空間のあり方を問うものである。
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