嵯峨本を中心に平仮名古活字本の来歴と刊行実態を調査した。 まず、嵯峨本『徒然草』が十行本『方丈記』、下村本『平家物語』と活字を共有していたという私見に立脚し、それが嵯峨本『伊勢物語肖聞抄』『源氏小鏡』にも及んでいることを確認した。そのうえで、これらの書物群における十五種類の活字「事」の使用履歴を追跡することで、嵯峨本『徒然草』の諸版を含めた諸書の先後関係を確定することができた。加えて、その初期段階に位置する嵯峨本第一種本『徒然草』と十行本『方丈記』が、活字を共有しつつも、そのなかにはどちらか一方でしか用いられない活字を含むこと、さらには、その影響が国会本『徒然草』上冊の組版・印刷時まで存在することを発見した。その影響とは、国会本『徒然草』上冊の組版・印刷時、第一種本『徒然草』に使用された活字のグループと十行本『方丈記』に使用された活字のグループの運用が分けられていたということである。このことは、活字群の管理はグループ単位でなされていたらしいこと、個々のグループには刊行に携わった人々の所有意識が存在し、活字ごとに所有者の標識があったことなどを推測させる。 近世初頭の古活字版の開版事業の背景には、少なからぬ工匠の実名が知られている。それらは徳川家康(伏見版)や民間の出版事業者などが営んだ、複数の開版事業を支えていたことも知られており、今回の発見と推測は、平仮名古活字本たる嵯峨本の工房でも同様の事象があったことをうかがわせるのである。
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