2023年度は、進化論的感性と退化論的感性が文学にどのような表象として現れるかを具体的に検討した。実際、この時期(あるいは現在でも)退化論の内容をしている日本人はごく限られていたはずである。だとすれば、退化論的パラダイムは、本人はそれと知らずに感じる、感性として現れはずである。近代文学史上いわゆる反近代と呼ばれる作家たち、たとえば泉鏡花などの文学こそは退化論的感性がよく現れている。 あるいは、漱石文学ならば『行人』の長野一郎のように、科学が人間に強いる速さへの恐怖を感じる人間も反近代であり、退化論的感性の持ち主だと言うことができる。そして、この感性は西洋諸国、特にイギリスで漱石が学んだものだった。 幸い、日本病跡学会で発表の機会を与えられたので、発表してそれを活字にすることができた。
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