清代康乾年間に、揚州を中心とする詩会で活躍した杭州詩人とその作品の地方文献への貢献、詩人の評価について調査し、正当な評価を受けなかった杭州詩人の矛盾について考察した。当時の地方志には当地を詠ずる詩が多く、詩会の詩も多い。清代地方志は当代の作を収録する傾向を強め、各所を詩題として分詠する詩会は、採録の場として有効だった。詩は史料を補うという表現が見られるのも、詩と地方文献との関わりを示す。杭州詩人は、地方志に詩を提供したが、流寓の存在であり、詩人としての記録が少なく、また個人の個性を発揮する詩を評価される機会を失った。袁枚の浙派に対する批判は、記録のために消耗された詩人のあり方への反発といえる。
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