最終年度には、トマス・ヘイウッド作『西の国の美女』二部作において、なぜモロッコ王国のムーア人のパシャ、ジョファーがキリスト教に改宗したのかについて、歴史的な基礎資料をもとに分析を試みた。従来の批評において、ジョファーの改宗の理由として、モロッコを好意的に示す劇作家のプロパガンダ的意識が指摘されてきた。 しかし、本劇が執筆・上演された1630年頃にあって、イングランドの貿易商人たちの視線は、モロッコやトルコからの脅威を回避するために、また莫大な利益を求めてインド本土に向けられていた。ほぼ同時期に、イングランドの海外政策として、インドのほか、ニュー・ファウンドランド、ギアナ、ヴァージニアやマサチューセッツの植民地化が掲げられていた。イングランドの海外市場はすでに新世界に向けられつつあったのである。このような時期に、劇作家は、イングランドの紳士スペンサーの騎士道精神に基づく自己犠牲的な精神と勇気に心を動かされ、キリスト教に改宗するジョファーを描く。本劇が執筆・上演されたときのイングランドの政治的、経済的な文脈に劇中のアクションを位置づけるとき、劇作家がキリスト教に改宗するジョファーを描出した理由として、ムーア人に対するイングランド人の精神的な優位性をノスタルジックに描いたことを明らかにした。 研究期間には、ジョン・フレッチャー作『島の王女』やフィリップ・マッシンジャー作『背教者』など、ムスリムの王女がキリスト教に改宗する理由について、当時の歴史的資料から分析を試みた。分析の結果、改宗を求めないイングランドの貿易方針とはきわめて対照的に、劇中のムスリム王女がキリスト教に改宗するアクションのなかに、改宗と軍事力をもとに海外市場を拡大しようとしたポルトガルやヴェニスなどの政策が映し出されていることを確認した。この点において、ヘイウッドの作品は異色な存在であることを浮き彫りにした。
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