研究課題/領域番号 |
21K00370
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研究機関 | 文教大学 |
研究代表者 |
上神 弥生 文教大学, 言語教育センター, 特務教員B (10826580)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 翻訳 / 自伝 / ライフライティング / 移民 / 英語翻訳文学 / exile / indirect translation |
研究実績の概要 |
令和4年度は、Svetlana BoymのDeath in Quotation Marks (1991)を中心に考察した。本著作でBoymは、19世紀末から20世紀初頭の詩人が「死」の詩学を通して実践した「作者」像の自己成型と、異なる文化的背景を持つ批評家によって語られた詩人の「死」の言説に焦点をあて、文学批評が伝統的に採用してきた「人と作品」という紋切型の議論は、書く主体(作者)とそれを読み解き論じる主体(読者・批評家)が位置づけられた自伝的、歴史的、社会的な文脈に強く影響を受けることを比較文学の見地から論じている。 本著作の考察を通して、次の点を明らかにできた。(1)Boymは、芸術作品の外部を否定し、創作の主体が位置づけられた日常的なlifeの文脈と切り離す視点を、モダニズムの芸術論(特に「芸術の自律性」「作者の匿名性」「自己犠牲」)と実践、またポストモダニズムの芸術論(特に「作者の死」)に共通して見出している。(2)このようなモダニズムとポストモダニズムの視点の脱中心化が、後に「オフモダン」の概念を軸に展開された思索の始点であり、本著作では「生」の不可視化に焦点を当てて、「生」を「文学的」なものと凡庸で日常的なものに分ける境界策定の政治性を照射した点に「オフ」の要素が確認できる。(3)このような「オフ」の視点には、作者の「死」や作家の殺害が詩学やメタファーの次元にとどまらなかった全体主義社会の現実を知るBoymの自伝的要素が密接に関わっている。 ソ連によるウクライナ侵攻を受け、並行して、リヴィウを舞台にしたWittlinとSandsのエッセイを収録したCity of Lions (2016)の翻訳にも取り組んだ。版権取得が難航したため当該年度内の出版には至らず、引き続き版権獲得に向けて交渉中だが、本研究における考察に有益な知見を得ることができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
Svetlana Boymが「オフモダン」の概念を軸に展開した思索の端緒を確認することで、Boym自身の「モダニティ」の理解が自伝的要素に結びついていることを明らかにでき、それによって「オフモダン」についての理解の精度を高めることができた。文学作品が生まれた文脈と作品を語る主体が位置づけられた文脈との「対話」から作品の読解が生まれるというBoymの視点には、例えばルフェーヴルの「屈折(refract)」の概念やシステム理論など翻訳研究の議論に通じる視点が確認でき、Boymの思索そのものが自伝性に注目することで英語翻訳文学を紐解き作品と書く主体の「私」の可視化力点をおいて研究する本研究課題に、想像以上に有益であることが確認できた。このような視点を、他の作家の作品や思想を理解する上でも同じように適用できるのか、できるとすればどのように可能なのか検討していきたい。 並行して進めたWittlinのエッセイの日本語への翻訳は、ポーランド語の作品の英語訳から行ったためindirect translationとなった。ここで得た経験的知から、「小さい言語」を母語とする作家が英語という「大きな言語」で創作した作品を、日本語というもうひとつの「小さい言語」を母語とする筆者が批評研究するという本課題の実践には、第一の翻訳者(relayer)が「小さい言語」から英語に翻訳をしたものを第二の翻訳者が別の「小さな言語」に翻訳するindirect translationの実践と相似する点があるのではないかということが見えてきた。本研究課題にとって重要な視点が得られる可能性が高いため、indirect translationの理論研究も進めて得られた知見を考察に結び付けたい。
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今後の研究の推進方策 |
「研究実績の概要」および「現在までの進捗状況」で述べた、当該年度に行ったSvetlana Boymの著作を中心とした考察から得られた知見を、他の作家(Vesna GoldsworthyとEva Hoffman)の作品に適用できるかどうか考察する。夏にはVesna Goldsworthy、Eva Hoffman、またJozef Wittlinのエッセイの英訳者Antonia Lloyd Jonesへの取材を計画している。 既に述べたように「小さい言語」を母語とする作家が英語という「大きな言語」で創作し、その英語の作品を日本語という別の「小さい言語」を母語とする筆者が批評研究するという本課題の実践には、第一の翻訳者(relayer)が「小さい言語」から英語に翻訳をしたものを第二の翻訳者が別の「小さな言語」に翻訳するindirect translationの実践との相似点が多分に見られる。実践としてのindirect translationは古くから存在しながら、この実践を対象とした翻訳研究は萌芽的段階にある。しかし、数は少ないながらも先行研究も確認できており、翻訳の実践と研究においてindirect translationやindirect translator(relayerとしての翻訳者)の存在の可視化を訴える動きもある。これは翻訳の創作性や主体に関心が注がれつつある動きに一致する流れとも言えるが、ここにSvetlana Boymの作品の考察を通して得た主体の「life」という文脈の可視化に関する知見を接続することで、英語による翻訳的な文学と翻訳的な創作の主体、および両者を取り巻く社会的、政治的、歴史的文脈についての深い洞察が期待できる。
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次年度使用額が生じた理由 |
購入を計画していた国外出版社の文献の出版が遅れており、計画よりも使用額が少なくなった。次年度使用額は、当該文献の購入と研究調査の渡航費として使用する計画である。
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