研究課題/領域番号 |
21K00374
|
研究機関 | 法政大学 |
研究代表者 |
丹治 愛 法政大学, 国際日本学研究所, 研究員 (90133686)
|
研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
|
キーワード | ナショナル・アイデンティティ / 国民国家 / イングリッシュネス / ジョージ・エリオット / 『フロス河の水車場』 / ジョージ・ギッシング / 『ヘンリー・ライクロフトの私記』 |
研究実績の概要 |
本研究は、田園にこそイングランドの本質的ナショナル・アイデンティティがあるという田園主義的イングリッシュネス観念が、いつごろ、どのような歴史的な脈絡のなかで生まれたか、それぞれの時代に他のナショナル・アイデンティティとどのように葛藤しながら、どのように変容しながら展開してきたかを、イギリス小説の解釈をとおして概観するところにあるが、本年度は、立教大学英文学科招待講演(2022年12月17日)において、「小説・国民国家・歴史 ジョージ・エリオット『フロス河の水車場』をおもなテクストとして」というタイトルのもとで講演するとともに、法政大学英文学会の機関誌に、「田園主義的イングリッシュネス――『ヘンリー・ライクロフトの私記』にかんする覚え書き」を投稿し受理された(2023年3月24日発行)。 前者においては、 「小説は国民国家を象徴する形式として機能する」、そして「それは(国歌や記念碑とは異なり)国民内部の差異を隠蔽せず、この差異を苦心しながらも物語に変換する」というフランコ・モレッティの議論に基づき、『フロス河の水車場』(1860)においてエリオットが同時代の国民内部のどのような差異=葛藤をどのようなかたちで物語に変換することをとおして、イギリスという国民国家の状況をどのようなものとして表象しているのか、その内部の差異=葛藤を統合する原理をどこに求めているかを論じた。 後者においては、『ヘンリー・ライクロフトの私記』(1903)の著者ジョージ・ギッシングが、田園主義的イングリッシュネスをどのように定義しているかを分析しながら、ヴィクトリア朝から戦間期にいたる時期に、イングランドの田園がどのようなかたちでヘリテージ化されていったのかを論じた。 その二つの論文をとおして、イングリッシュネスにかんするわたしの議論の空白となっていた二つの重要な時期を埋めることができたと考えている。
|
現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
今年度は、『フロス河の水車場』と『ヘンリー・ライクロフトの私記』について書くことができたため、田園主義的イングリッシュネスの歴史をたどる自分の構想のなかで、空白となっていた二つの時代を埋めることができた。その点では大いに進展を見ることができたと自己評価している。 ただし、イングランドを実際に訪れて、田園風景の構築のプロセスを確認し、それに関連する多様な資料を収集するという点については、コロナの状況のほかにも、退職を控えていたことによる多忙さのため、今年度も実現することができなかった。
|
今後の研究の推進方策 |
昨年度、『フロス河の水車場』と『ヘンリー・ライクロフトの私記』についての論をまとめることをとおして、トマス・ハーディの『テス』論を見直す必要に気づかされた。その課題をこなしたあとは、なかなか完成できないでいるD.H.ロレンス「イングランド、マイ・イングランド」論(第一次世界大戦とイングリッシュネス)にふたたび挑戦するとともに、これも難題となってきているイーヴリン・ウォー『回想のブライズヘッド』(第二次世界大戦とイングリッシュネス)に取り組む予定。その他、チャールズ・ディケンズ『クリスマス・キャロル』、また、第二次大戦後の「怒れる若者たち」の作品とイングリッシュネスの関連性についても研究をはじめたい。 最終的には、オースティンからイシグロまでの田園主義的イングリッシュネスの文化史を可能なかぎり連続的に描くことをめざすため、新たにとりあげる作家・作品も考慮している。したがって、未定ながら、プロジェクトの一年延長の可能性についても検討しはじめている。
|
次年度使用額が生じた理由 |
研究に必要な資料を収集するために、2週間ほどの海外出張(連合王国)を計画していたが、コロナ流行がいまだ完全には収まっていないのに加え、定年退職にともなうさまざまな仕事が重なり、今年度も実施できなかったためである。
|