当該年度は「後期作品を対象とする病いの検証・考察と研究総括」をテーマに研究を遂行した。手順としては、「中期作品」と「後期作品」の線引きを明確にする試みから着手し、先行研究をもとに本研究では1904年の『ミセス・バサースト』以降を後期作品と位置付けることに決定した。同作品にもすでに認められている「難解さ」は年々深まり、難解な作家としての評価をキプリングに与えることになるが、本研究では「病い」を切り口に作品の難解さを解き明かすことに注力した。作品精読、文献調査、学会参加などから得られた知見並びに成果は①キプリングの関心が第一次世界大戦後のシェルショックによる精神疾患を中心に人間の内面に集中し始めたことを受け、作品で扱う題材自体が複雑化した ②後期作品を特徴づける難解さは帝国主義が破綻した「病める」イギリス社会への不安と、加齢と心身の不調を原因とする「病める」自身への不安がテクスト上で顕在化したものとみなせる といった二点に絞り込める。年度内刊行には間に合わなかったが、現在、論文として成果発表の準備を進めている。 研究期間全体を通じて実施した研究成果を上述の2023年度に先立つ2年間について年度別に示すと、2021年度においては①日射病、不眠など気候・風土に起因する病気が身近なものであったインド時代のキプリングにとって「病い」は日常風景のひとつであり特別なものではなかった ②医師との交流によりキプリングが医学的言説に親しんでいた可能性が強い という二点が挙げられる。2022年度においては①初期作品では主に身体を蝕むものとして描かれていた「病い」が、精神をも蝕むものとして描かれる兆しがでてきた ②キプリングは帝国主義の信奉者ということになっておりそれは誤りではないが、作品からはたとえば植民地政策への危惧など大英帝国の行く末に対する危惧の念が読み取れる という二点が挙げられる。
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