研究課題/領域番号 |
21K00419
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研究機関 | 愛知県立芸術大学 |
研究代表者 |
大塚 直 愛知県立芸術大学, 音楽学部, 准教授 (70572139)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | ホルヴァート研究 / ヴァイマール共和政 / ファシズム・ナチズム / 民衆劇・戯曲分析 / バイエルン革命 / 群衆・大衆・小市民 / 亡命文学・抵抗文学 / 政治難民・ユダヤ人問題 |
研究実績の概要 |
前回採択の科研費の研究課題は劇作家ホルヴァートの後期戯曲、すなわち1933年のナチ政権成立後に始まる亡命生活と、その苦しみと闘いながら生まれた作品群が考察対象であった。そこから新たな研究課題、逆に1933年以前のヴァイマル共和政時代における社会批判劇をメインに初期ホルヴァートの理想や問題意識を探る研究を進めている。 当然ながら後期と前期で重なる点・異なる部分が見えており、当該年度は前回の研究課題の積み残しを論文にまとめながら、初期作品の主要な研究資料を読み漁り、新たな研究課題の方向性を明瞭にしていった。 研究実績としては、中期の代表作『ウィーンの森の物語』を当時の女性の自己実現と社会的転落という視点からまとめた論考、また後期戯曲へと踏み込んだ重要な戯曲『セーヌ河の身元不明の少女』をそれまでの同時代の女性主人公とは異なる、古典の文学作品を下敷きにして書かれた新しい理想主義的な女性像として検討した論考、合計二本を学会誌および紀要に発表した。さらに懸案であった〈人間の喜劇〉と呼ばれる最晩年のホルヴァートの構想についても、現在論考をまとめつつある。 当該年度は長引くコロナ禍のため海外渡航は控えたが、当初は海外渡航用に計上していた予算を使って、高額ではあるが、知られざる手書き資料などをファクシミリで複写した、ホルヴァート研究には欠かせない新ウィーン全集版の既刊を多数購入した。それにより、これまで研究論文などで間接的にしか読めなかった草稿断片が年代順に整理・網羅されて閲覧できるようになった。この全集版を使って初期戯曲を現在、研究中である。 初期ホルヴァートの仕事の意義は、1920~30年代における群衆や大衆の登場、マス=メディアに流される小市民の実態を戯曲の形式を借りて巧みに写し取ったことにある。論文執筆により、マス=メディアの言説と意識という現代に通じる問題を解き明かしていきたい。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
「研究実績の概要」の項目で書いた通り、ホルヴァート研究のうち、後期戯曲を優先的に論文にまとめたため、研究実績として初期作品のほうは遅れてしまった。 しかし初期・中期の社会的現実を巧みに写し取った政治的・同時代的な作品群と、後期の宗教的・形而上的な作品群とが、どうリンクしているかがホルヴァート研究の重要な課題でもあるため、当該年度の研究成果から見えてきたこともある。 例えば、ウンディーネ神話を思わせる幻想的な喜劇『セーヌ河の身元不明の少女』の執筆から後期戯曲は始まるわけだが、この作品はヴェデキントの戯曲『音楽』と密接な関わりを持つことが明らかになった。後期戯曲はホルヴァートが影響を受けてきた作家の作品を下敷きにして書かれていることが多く、ウィーン民衆劇の劇作家ライムントやネストロイと並んで、ミュンヘンの劇作家ヴェデキントも重要なインスピレーションの源泉であったことが分かる。 また最晩年の構想〈人間の喜劇〉は、ハンガリー作家イムレ・マダーチュの代表作『人間の悲劇』から直接的にインスパイアされている。マダーチュの「悲劇」とは対照的に自らの作品構想を「喜劇」と銘打つことで、失望や幻滅など人類史の進歩・発展のネガを踏まえながらも、人間精神の未来に向けてポジの側面、愛や希望を伝えられるような作品をホルヴァートは後世の人びとに書き遺そうとしたのだろう。 このように、後期の作品群の源泉は、逆に彼が文学活動をスタートさせた初期の時点で影響を受けてきた作家たちだと想定できる。ここから出発して、ハンガリーの国民的詩人エンドレ・アディの作品や、ミューザムやランダウアーといったユダヤ系の急進勢力の指導者たちに率いられたバイエルン革命、また革命に参加した劇作家エルンスト・トラー及びボヘミアン作家オスカー・マリア・グラーフらのホルヴァートへの政治的影響について、初期戯曲を手がかりに考察していきたい。
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今後の研究の推進方策 |
劇作家ホルヴァートの生涯のテーマのひとつは同時代の女性たちであった。新しく民主主義的な社会を迎え、男女同権が実現し、婦人参政権や大学入学許可が認められながらも、女性の自己実現は当時難しかった。そうした、いわば男性優位的・家父長制度に根差した保守的な体質が、やがてナチ政権を準備することにもなった。ホルヴァートの戯曲を検討すると、そのように社会から排除された人たちは主に外国人、ユダヤ人、女性たちであったことが分かる。 ホルヴァートが当時交際していた女性たちは、ヴァイマル共和政の時代にふさわしくショートヘアで、ボーイッシュなタイプが多かった。しかしナチ時代を迎えると、体制内で出世していく女優もいれば、ユダヤ人ということを理由に財産を没収されて悲惨な人生行路を歩む女性もいた。こうした当時の女性たち、特にユダヤ系の政治難民を中心にして、ホルヴァートは当時の文化史を彩る抵抗文学の作家たち、例えばヘルタ・パウリやヴァルター・メーリングらと、どのような政治的立場を共有していたのか、探ってみたい。 ホルヴァートは生涯にわたってユダヤ人とは交流が深く、演出家フランチェスコ・フォン・メンデルスゾーンなど、アメリカ亡命後に悲惨な晩年を過ごした人物もいる。これら親しかったユダヤ系の芸術家・女性たちと亡命生活について考えてみたい。 もうひとつは今回採択の科研費の研究課題でもある初期社会劇の検討である。ウィーン新全集版には作家の描いたイラストも含め、これまで閲覧できなかった資料が多数掲載されている。『登山鉄道』、『スラデク』、『イタリアの夜』といったファシズム前夜の時代状況を描いた作品群を成立史から検討し、ホルヴァートの視点、民衆劇のルーツにバイエルン革命からの思想的影響がないか、ランダウアーやトラーらの著作と比較考察しながら考えてみたい。特に群衆と個人というテーマからホルヴァートの関心を探りたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナ禍という不測の事態が続いており、当初計画していた海外渡航ができなくなってしまった。しかし、ホルヴァートの新ウィーン全集版を順次購入するという計画もあったため、当該年度に関しては渡航費を物品購入費に当てて使用した。ちなみに、この全集版はまだ完結していないため、続きが刊行され次第、残り数冊を引き続き購入していく予定である。 次年度中にコロナ禍が沈静化すれば、当初の計画通り渡独して予算を執行することを考えたいが、ロシアのウクライナ侵攻による航空ルートの不安定化や、円安など渡航が難しい状況が続いている。渡航が無理な場合は、当初の研究計画を少し変更する形で予算を執行していきたい。 例えば、研究対象である劇作家ホルヴァートに関連する図書資料およびメディア資料など、必要な文献およびDVD資料などを順次蒐集していきたい。ホルヴァートの初期社会劇は彼の新しい〈民衆劇〉の成立とも関わりを持ち、同時代のトラーやフライサーなどその他のバイエルン州の劇作家とも関連があるため、その繋がり、政治的影響関係なども文献蒐集をすることで広く探っていきたい。
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