最終年度においては、ウリポ文学の精華とも言うべきペレック『人生 使用法』と同じく、集合住宅という舞台を共有する「調査の文学」の最新の成果のひとつ、リュト・ジルベルマン著、『パリ10区サン=モール通り209番地 ある集合住宅の自伝』(2020)において、遊戯性と現実志向というペレックの二面性がいかに現れているかを考察した。この作品は、ある集合住宅をめぐるルポルタージュという意味では「調査の文学」の一例であるが、実存的制約が用いられているわけではない。『人生 使用法』と枠組みを共有してはいるが、ウリポ的な言語遊戯を共有しているわけではない。この作品が、二面性をもつペレックとどのような関係にあるのかを考察した。ペレックの小説において、通時的共同体の出現はウリポ的制約の適用と無関係でないこと、また、ジルベルマンは被調査者において感情の暴発を避けるためにドールハウスの家具を用いながらインタビューをすすめているのだが、そのことがウリポの制約がもつ「感情の制御」という機能に通じていることを示した。つまり、『サン=モール通り109番地』は、『人生 使用法』を実存的および遊戯的という両面において後ろ楯としていると結論できる。 また、研究期間全体の成果として、『サン=モール通り二〇九番地』の日本語訳を行い、15000字におよぶ解説を付し、上記のような考察をも盛り込んで、本作の「集合住宅文学」としての意義を明らかにした。ジルベルマンのルポルタージュにおいて感動的なのは、209番地の建物が「目印となり、出発点となり、起源となる」場所として描写されていることなのだが、この建物は、近親者の故郷というだけでなく、「空間の力だけで幾歳月を越えて生き続ける一族」の故郷ともなっているのである。
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