研究課題/領域番号 |
21K00462
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研究機関 | 都留文科大学 |
研究代表者 |
菊池 有希 都留文科大学, 文学部, 教授 (70613751)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 北村透谷 / バイロン / カーライル / 崇高 / 山岳の美学化 / 風狂 |
研究実績の概要 |
本研究を開始するにあたり、イギリス・ロマン主義と中世日本文芸の両方をつなぐ存在として、北村透谷に特に注目し、彼に影響を与えた、バイロン、カーライルらの西洋ロマン主義的〈自我の無化〉への志向と、西行、芭蕉らの隠者的〈自我の無化〉への志向とがいかなる理路で結び合わされていたのかについての解明を第一の課題として検討を行なった。その際、評論「人生に相渉るとは何の謂ぞ」において、透谷が芭蕉の句の解釈を展開する際、西洋美学由来の「サブライム」の概念に言及している事実を重視し、西洋における「自然の崇高」の発見とイギリス・ロマン主義の詩学との関連についての理解を深めるべく、文献の読み込みを行なった。 その結果、イギリス・ロマン主義の〈自然―自我〉表象の成立において、崇高なるものとしての山岳の美学化が大きな意味を持っていたことを改めて確認する中で、それと軌を一にするかたちで、透谷が個人的な富士登山体験を通して〈栄光の山〉(M.H.ニコルソン)としての富士山の美学化と崇高観念の意識化を行なっていたこと(「富士山遊びの記臆」)、そしてそれが後の作品群(『蓬莱曲』「富嶽の詩神を思ふ」「人生に相渉るとは何の謂ぞ」等)にまで反響していることを明らかにすることができた。上記の議論の一部については、在外研究の受入先のSOASでの研究交流会(2021年11月)にて報告を行なった。 あわせて、並行的にカーライルのテクストの読み解きを進める中で、カーライルの所謂「自我の滅却」の典拠を確認することができた。このことによって、ロマン主義的〈自我の無化〉の水脈を具体的に把握できるようになり、大きな収穫であった。 また、湖水地方においてワーズワースの地誌詩に関する実地調査、及び、ノッティンガム大学図書館においてバイロン関連の二次資料の調査を行ない、イギリス・ロマン主義の詩学についての理解を深めることができた。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
透谷が富士登山の体験を通じて自任したらしい、「自然の崇高」への志向のありようを捉えるためには、西洋の数ある「崇高」論のうち、カントのそれが最も有効な補助線となり得るであろうという見込みのもと、カント美学の読み解きを中心に行なったが、これについてはやや難航したと言わざるを得ない。透谷の「サブライム」理解とカントの「崇高」論をむすぶものとして、カントについての論及を多く含むカーライルのドイツ文学・哲学論の読み込みも並行的に行なったが、〈カント→カーライル→透谷〉と連関する影響・受容関係の解明も、基点となるべきカントの「崇高」論の理解を固めることができなかったため、中途で行き詰まらざるを得なかった。この点に関しては、予定より遅れていると自己評価する。 他方で、カーライルのドイツ文学・哲学論の読み込みの過程で、〈自我の無化〉概念の出典を確認することができ、そこからカント的〈自然の崇高〉とカーライル的〈自我の無化〉とをむすぶものに目途を付けることができたことは収穫であった。また、ロマン主義的〈自我の無化〉の系譜を辿ってゆく中で、ロマン主義的自我表出に対する批判としてT.S.エリオットの「個性の滅却」論が重要な意味を持つものであることを確認し、その問題意識の一端を、エリオットの反ロマン主義的詩学に大きく影響された日本の戦後詩についての論「一九四七年の一情景を描き出す―「囚人」から「アメリカ」へ」として発表することができたことは、〈自我の無化〉の詩学という、より大きな射程の研究への展望を得られたという意味で、非常に意義あることであった。 このように、当初の予定よりは遅れた部分があるものの、予期していなかった成果も得られたため、総合的には「おおむね順調に進んでいる」と自己評価する。
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今後の研究の推進方策 |
まず、本年度不十分だったカントの「崇高」論の理解を確かなものにしてゆく必要があるわけだが、〈自我の無化〉という本研究の主題との関わりにおいてカントの「崇高」論の読み解きを行なうにあたり、カントの「崇高」論における「無関心性」の位置づけの解明が問題解決の糸口になるのではないかという直観を持っている。カーライルは〈自我の無化〉(「自我の滅却」)が起こる内的状態を「無関心の中心」という言い方で言い表していたが、この「無関心の中心」の「無関心」とカント美学における「無関心性」とは相重なるものであるのかどうか。こうした論点にも関わってくるので、今後の研究を推進してゆくためにカント美学における「無関心性」の問題の解明は必須と考えている。 また、カーライルの「自我の滅却」の典拠がドイツ・ロマン派のノヴァーリスにあることを確認できているので、ノヴァーリスにおける「自我の滅却」の位置づけの解明も同時に進めてゆく。このことを解明できれば、〈ノヴァーリス→カーライル→透谷〉と継承される「自我の滅却」の系譜を辿ることができるようになり、本研究をヨーロッパ・ロマン主義研究というより広い地平に投げ返すことが可能となる。ノヴァーリスと、カーライルのノヴァーリス受容の両方の読み解きを同時並行的に進める。 中世日本文芸における〈自我の無化〉の検討については、透谷との関わりの深さを重視して、中世隠者文芸の風雅・風狂の精神の継承者としての芭蕉における〈自我の無化〉の問題に特に注目して、読み解きを行なってゆく。現時点で、中世日本の美学理念としての「幽玄」が「無」の観念を引き込むことによって芭蕉の「さび」の文学が成立したという見立てを持っているが、中世の歌論から近世の俳論も視野に入れつつ、芭蕉における〈自我の無化〉の問題の位相を確認する。そうする中で、上述の西洋ロマン主義的〈自我の無化〉との接合点を探る。
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次年度使用額が生じた理由 |
当初、ヨーロッパ美学における崇高観念の成立に深く関わった地であり、ロマン主義的自然表象について考える上で無視することのできないルソーの所縁の地であるスイスのジュネーヴに調査出張に赴く計画を立てていた。ジュネーヴでは、特に、ルソーの自然表象に強く影響されつつ自らもジュネーヴの地でレマン湖及びアルプスの高峰の自然美を作品において歌い上げたバイロン、P.B.シェリー、及び M.シェリーの史蹟(シヨン城など)を訪れ、地誌と彼らのテクストとの関わりについて資料調査(ジュネーヴ大学図書館など)を行う予定であったが、在外研究を行っていたイギリスでロックダウン政策が完全に解除された七月以降、それと入れ替わるようにデルタ株が蔓延するようになり、出入国の制限や事態の推移を見守る必要から、夏期に予定していた上記出張を断念せざるを得なかった。そのため、上記出張旅費に相当する額の執行を2021年度内に行うことができなかった。 上記調査出張は、本研究を展開するにあたり重要なものと位置付けており、状況が許せば是非とも行いたいと考えているものである。だが、コロナ禍が終息するかどうかは現時点で不明なままであり、またロシアーウクライナ戦争による航空便の運航への影響という新たな問題も出来している。社会状況の推移を注視して、上記出張が難しい場合は他の必要支出に当てるなど、柔軟に対応していきたいと考えている。
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