研究課題
基盤研究(C)
本研究は、戦後の日本語教授法が、どのような経緯で構築され、実践されていったのかを、(1)京都日本語学校の設立経緯、(2)長沼直兄の日本語教授法、(3)阪谷芳郎の日本語学校論、から明らかにした。その結果、東京日本語学校の長沼直兄の日本語教授法が、京都日本語学校の日本語教授法に伝播したことを解明した。また戦前の日語文化学校校長であったダーリー・ダウンズの果たした役割の重要性を指摘した。小出詞子の日本語教授法については、国際基督教大学の設立経緯と関連があることが判明した。
教育史学
これまで未解明であった占領期の日本語教授法について、日米相互の一次資料の調査収集を行い、日本語教授法の生成過程を歴史的に分析した。東京日本語学校や京都日本語学校の日本語教授法は、長沼直兄の日本語教授法が採用されたことが明らかになった。また長沼が抜擢されたのは、戦前の日語文化学校の校長であり、インターボード連合委員会の現地委員会の主事であったアメリカ人宣教師のダーリー・ダウンズの果たした役割が大きいことを解明した。