最終年度は5文型が細江(1917)によって初めて本格的に日本に提示されて以来,1958年に告示された第2回改訂中学校学習指導要領で示されるまでの歴史的経緯について研究した。この結果,1952年に告示された学習指導要領ではHornby et al(1942)で示された25のVerb Patternsが採択されたが,1958年版の学習指導要領で戦前から教授・学習されてきた5文型が再び採択された経緯について明らかにした。 1952年版でVerb Patterns が提示されたことにはアジア・太平洋戦争中から始まっていた米国の日本占領政策の一環として戦後新制中学校ではオーラル・アプローチによる教授・学習が推進されたことと,これに近いオーラル・メソッドを提唱したHarold Palmerが提示したVerb PatternをHornby et al.が洗練したものを採択したことが理由としてあげられる。5文型が復活したのは,1952年に締結されたいわゆるサンフランシスコ講和条約ののち,進駐軍が撤退したことや新制中学校における英語教員が不足していることなどが原因となり,教授・学習しやすい5文型に移行したことを示した。研究成果は8月にベトナムで行われた国際会議VietTESOL 2023での口頭発表を経て『日本情報ディレクトリ学会誌』第22号で論文として発表した。 2021年度より3年間の研究期間でこれまで顧みられなかった日本における5文型の誕生から旧学制での普及まで,そして新学制で5文型が改めて提唱されるまでの史的研究を行った。この期間で,統語分析の日本への移入から,文型による教授が生まれた経緯と,細江(1917)前後に提唱された様々な文型論が現在の5文型に収束する過程,さらには戦後新学制において5文型が学習指導要領に組み入れられ,告示された背景について明らかにしてきた。
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