研究課題/領域番号 |
21K00849
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研究機関 | 金沢大学 |
研究代表者 |
笠井 純一 金沢大学, 人間社会研究域, 客員研究員 (80107119)
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研究分担者 |
村田 路人 神戸女子大学, 文学部, 教授 (40144414)
飯塚 一幸 大阪大学, 大学院人文学研究科(人文学専攻、芸術学専攻、日本学専攻), 教授 (50259892)
山田 和人 同志社大学, 文学部, 教授 (60191300)
塚原 康子 東京藝術大学, 音楽学部, 教授 (60202181)
岡田 万里子 桜美林大学, リベラルアーツ学群, 教授 (60298198)
橋爪 節也 大阪大学, 総合学術博物館, 教授 (70180817)
田村 義也 成城大学, その他, 非常勤講師 (80262096)
笠井 津加佐 金沢大学, 人間社会研究域, 客員研究員 (90747114)
大西 秀紀 京都市立芸術大学, 日本伝統音楽研究センター, 客員研究員 (60469111)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 名古屋西川流 / 坪内逍遥 / 武原はん / 花街舞踊の水準 / 北新地永楽席 / 佐藤駒次郎 / 芸妓の在職年数 / 姉芸妓・妹芸妓 |
研究実績の概要 |
本年度は、研究成果2編を公表した。①.笠井津加佐・笠井純一「「西川舞踊会」番組(大正六年、大阪南地演舞場)」(金沢大学人間社会環境研究科『人間社会環境研究』第45号、2023年3月)、②.笠井純一・笠井津加佐「戦前期大阪北新地における芸妓の開業・廃業記録」(同)で、いずれも史料紹介である。 ①は1917年2月、名古屋西川流の師範:西川嘉義(1864~1921)が開催した舞踊会の番組で、これまで知られなかった史料である。報告者らは、この史料を本科研費で購入して調査を重ねた上、全文を翻刻してその意義を論じた。この会には、嘉義自身が坪内逍遥の「一休禅師」を初演し、彼女が教えた堀江と南地の芸妓(武原はん他)だけでなく、花街と無関係の弟子も出演した。また市民の注目を集め、四日間の切符が事前に売り切れるなど、舞踊を接点とする花街と市民との繋がりを伺い得る内容であった。本科研の一課題「芸能を媒介とする花街と市民との関わり」を追究する上で、貴重な成果といえよう。なお明治・大正期の花街舞踊の水準は高く、嘉義の外にも片山愛子(三世井上八千代)が「鉢かつぎ姫」を、西川石松が「俄仙人」(何れも逍遥の作品)を振付け、芸妓に教えた事実等にも言及した。 ②は佐藤家所蔵史料で、現所蔵者の祖父:佐藤駒次郎(1881~1950)が、自身の経営する「永楽席」の芸妓(延べ469人)の開業・廃業等を記録した台帳である。但し、個人を特定できる情報が多数含まれるので、各芸妓には開業年度別に通し番号を付し、源氏名はその数字に改め、本名等はこれを省いた。本史料は、近代における芸妓の勤務状況を知るために貴重であるだけでなく、芸妓扱店相互の関わりや、扱店を越えた芸妓の繋がりを知る上でも稀有の文献であり、今後の花街研究に有益と思われる。 なお①・②は、金沢大学学術情報リポジトリKURAで公開している。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
研究分担者・協力者による研究会は、オンラインで4回開催した。第1回は2022年12月23日、「文献史料検討会」と称して笠井純一が報告した。検討史料は、①永楽席芸妓の開業・廃業記録、②永楽席芸妓 日毎「出勤記録」(昭和13年頃)、③「大福帳」(仮称、大正3年頃)、④「大坂芝居風俗画」、⑤「芸妓営業ニ関スル契約証書」(堀江廓、明治29年)他、の5点である。①~④は佐藤家史料で、①は5で言及した研究成果①に繋がる。⑤は研究分担者:橋爪節也氏から提供された史料であった。 第2回は同年12月29日に開催した。報告は①笠井津加佐「北陽浪花踊「浮世絵」の衣裳下絵について」、②笠井純一・笠井津加佐「花柳舞踊研究会と大阪北新地」の2本である。いずれも浪花踊と花柳舞踊研究会の関わりを追究する報告で、現在編集中の『花柳舞踊研究会上演記録』(8で後述)の解題原稿に繋がるものである。 第3回・4回は2023年3月27日・30日に、同一内容の報告を繰り返して実施した。①田村義也「演劇博物館所蔵 田中良「舞台装置図」について」、②笠井純一・笠井津加佐「演劇博物館所蔵「大坂芝居風俗画 貼交屏風」と佐藤家の「芝居風俗画」について」の2報告で、ともに早稲田大学演劇博物館での調査(同年2月4日)に基づく。このうち報告②は、第1回研究会で検討した④の調査を発展させたものである。各回とも活発な質疑応答が行われ、大阪四花街について共通認識を深めると共に、各自の追究課題を明確化するために有益であった。 史資料調査は、公立図書館等で文献を探索したほか、大阪中之島美術館における関係史料の調査(2022年8月9日)、大林組大阪本店での調査(大正4年竣工時の北陽演舞場写真アルバム、2023年2月15日)、東大総合図書館調査(同年2月2日)、早稲田大学演劇博物館調査(上記)が特筆される。新たな情報の蒐集という点でも進展があった。
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今後の研究の推進方策 |
現在推進中、もしくは構想中の企画は3件ある。 第一は、『花柳舞踊研究会上演記録』の刊行である。佐藤家には北陽浪花踊のみならず、大小の舞踊会・演奏会等の番組が多数残されるが、うち特記すべきものに二世花柳壽輔による「花柳舞踊研究会」の番付17冊、仮番組18枚、歌詞集2冊がある。いずれも戦前期のもので、各回の上演が具体的にわかる貴重な史料である(但し、第1、2、11、14回の番組は現存しない)。壽輔は研究会創設(大正13年4月)の後、大正14年から北陽浪花踊の振付も担当した。研究会での演目が大阪で再演されただけでなく、浪花踊の演目が研究会で再演されることも多く、両者は振付(壽輔)・舞台美術(田中良)・照明(遠山靜雄)等にわたって密接な関係を有していた。そのため佐藤家は、戦災で湮滅したと思われた研究会番組だけでなく、関係写真や舞台下絵、書簡など多様な史料を所蔵しているので、これらによって研究会上演を髣髴させることが可能である。報告者らは研究分担者:岡田万里子氏の協力のもと、これらを翻刻・出版し、記録として後世に残したいと考えている。 第二は、浪花踊の16㎜フイルム(佐藤家史料)を用いた「住吉踊」(昭和4年)の研究である。現存映像は複数のフイルムから編集されており、舞踊全体を知ることは出来ないが、これらを基に佐藤惠氏(史料所蔵者、花柳祿美之)、清元菊輔氏他の協力を得て、残された映像が踊りのどの部分に相当するか、同定作業を進めている。これも第一の企画同様、研究資料として公開したい。なお、成果物は報告書の形で刊行するが、これには「佐藤家史料仮目録」も収録する予定である。 第三は、佐藤家史料に残された「北陽浪花踊」の姿を、記録として保存する企画である。また蒐集史料に基づき、大阪花街研究の成果を編集・出版する企画もあるが、これらは今後の課題としたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
次年度使用額が生じた最大の理由は、コロナ禍のため、遠隔地への史料調査や対面での打合せが困難であったことである。 次年度には、必要な調査・打合せ等を鋭意行うとともに、蒐集史資料のデジタル化や、出版のための準備等に有効活用する所存である。
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