刀剣研磨は、形の違う様々な天然砥石が生み出す日本独自の芸術であり、刀剣が輝きを放つ姿は、天然砥石による研ぎの伝統が継承された証といえるが、仕上げ研ぎに使われる京都産天然砥石による研ぎがいつから始められたのか、現在の刀剣研磨の技法の始期はわかっていない。本研究で特に「鳴滝narutaki」砥とする理由としてはⅠ型地層帯の風化したものが鳴滝砥であり、その範囲は京都府梅ケ畑から丹波山地に及ぶ。京都産天然砥石の採掘がわかる文献には神護寺所蔵の神護寺絵図があり、寺の四隅を指標した絵図中に「砥取峯」と付記されていることを砥石採掘のはじまりと考えられている。京都産天然砥石の採掘・販売を現在行っているさゞれ銘砥(株)中岡氏によればこの絵図に示された、平岡八幡宮や幹線道路の位置は現在とほぼ変わらないという。そこで本研究では研究目的の範囲を刀剣研磨の仕上げ砥いわゆる鳴滝砥、内曇砥の産出する神護寺絵図に描かれた山々に絞り、中岡氏の協力を得て絵図に示された「砥取峯」付近の山の砥石を購入し、調査範囲とすることとした。購入した砥石や、研究代表者所有の砥石を蛍光X線分析調査ができる試料を作成し、研究分担者が分析調査し、その結果から類似する鳴滝砥による研磨を行うことで中世の刀剣の輝きを復元できるのではないかと考え、研究を進めている。また研究代表者所有の短刀「丹波守吉道」(江戸時代)を刀剣研磨師藤代氏が片面を差込み研ぎ(現代研ぎ)反対面を仕上げ研ぎの前段階までと表・裏面で研磨方法を違えて研磨した。すると差し込み研ぎでは「地金は黒く刃は白く」、地金の働きや刃文の美しさが映える研磨となったが、艶砥による仕上げ研ぎのない面は地金の黒さのない、白色の刀身に仕上がった。艶砥での研磨が日本文化の華である日本刀を造り出す結果を得た。
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