研究課題/領域番号 |
21K00925
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研究機関 | 愛媛大学 |
研究代表者 |
森 貴子 愛媛大学, 教育学部, 准教授 (10346661)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 中世初期イングランドの紛争解決 / 中世初期イングランド統合王国における地域 |
研究実績の概要 |
本研究は、紛争解決事例の検討を通じて、特定の地域がイングランド統合王国に統合されていく力学を問うものである。21年度は、王国と地域を結びつけるという意味で、重要な役割を担ったエアルドールマン(国王に奉仕する最高位の人物であり、王権の代理としての地域の支配者。裁判集会で紛争解決にあたるなど、在地社会における秩序維持を担った)に着目した。特に、10世紀末にイングランド西部諸州のエアルドールマンであったエセルウェアードに着目し、彼が執筆したとされる年代記を取り上げた上で、これに関する最近の研究を整理した。 検討の結果、エセルウェアードの年代記に関しては、俗人によるリテラシーや記録の生成・流通・受容といった視角から考察が進められていることが判明したが、私の関心にとってより重要なのが、王族出身であったエセルウェアードのアイデンティティをめぐる諸研究であった。そこでの主要な潮流は、10世紀半ばにイングランド統合を進めたウェセックス王家を出自とするエセルウェアードが、王国のサクセス・ストーリーに自らを重ね合わせるとともに、王国のイデオロギー形成に貢献しようとする、積極的な政治的意図を持っていたと考えるものであった。「王と国家とが、エセルウェアードのアイデンティティの中核である」、これはC・キュービットによる指摘である。 ただし最近になって、これに異を唱えるG・モリノーのような研究者も登場した。近年の中世初期イングランド史研究では、国家の成長を高く評価する「アングロ・サクソン末期国家」論が隆盛だが、モリノーの反論は、この文脈に『年代記』を安易に当てはめようとする傾向への警鐘と捉えることができる。また、王族出身のエセルウェアードのアイデンティティが、他を代表するかという問題もある。エアルドールマンに対する理解を深めるために、他の貴顕に関する研究成果と比較検討する必要性を確認したところである。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
新型コロナウィルスの流行により、ロンドンでの文献調査、およびイングランド西部のイブシャムでの現地調査などは実現しなかったが、日本で入手可能な文献を積極的に収集することができた。また、上記「研究実績の概要」で述べたように、王国統治の一つの鍵となるエアルドールマンについて、事例研究を進めることができた。在地における統治の担い手と王権との具体的な結びつきを検討する場合、司教・修道院長などの聖職者と、地域共同体のリーダー的存在であるセイン、そして地域の支配者であるエアルドールマンの三者に目配りすることが必要不可欠となってくる。エアルドールマン(あるいは伯)について、大貴族であった彼らの詳細は、未だに分からないことが多い。州役人たるシェリフが地域的支配者の機能を奪う1100年頃までの、エアルドールマンの存在や具体的な活動については、これまで以上に注目されて然るべきであり、その意味でも21年度の研究内容は、私のテーマを進めるために重要な意味を持ったと考えられる。今後はこの成果を、研究対象であるミッドランド西部の係争事例の分析(個別の裁判におけるエアルドールマンの役割の解明)に活かしていかなくてはならない。
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今後の研究の推進方策 |
対象地域に関して抽出した訴訟事例を分析する。主たる史料はおよそ200通の文書であり、ウスター司教座、イブシャム修道院、アビンドン修道院から伝来している。また一部は年代記カーチュラリや聖人伝にも記録されている。さらに、係争の背景とその後の経過を探るため、所謂諸王の「法典」およびドゥームズデイ・ブックを活用する。 ①史料の分析:22年度は、州集会で扱われた裁判の中から、比較的伝来史料に恵まれた事例を取り上げ、前掲した多様な類型の史料から情報を収集することで、裁判の背景や結果、参加者について可能な限りの再現を試みる。また、王の集会など、他の集会との階層関係が見られるか否かにも着目しつつ考察を進める。参加者については、プロソポグラフィの成果を用いて社会的身分・地理的出自を確定する。こうした作業から、裁判における地域同体の機能(陪審的役割あるいは証人等)を浮かび上がらせると同時に、王権、司教およびエアルドールマンの役割を明らかにする。 ②史料論の視点:オリジナルで伝来している文書(British Library, Cotton Charters viii. 37など)についてはBritish Libraryで調査を行い、材質、形態、筆跡の分析から、中世初期の裁判における記録(文字)利用の仕方を明らかにする。 ③「地域の担い手」としての在地有力者層への注目:裁判集会を伝える文書には、「多くのよき人々」、あるいは「多くのよきセイン達」という文言が登場する。彼らはもともと「仕える者」を意味した、地域の富裕な有力者層を指す。本研究では、彼らを在地の秩序維持に重要な役割を果たした地域共同体の担い手(リーダー的存在)として位置付けるとともに、その社会・経済活動の全体的特質や、王権、司教、そして貴顕たちとの関係を理解するために、申請者のこれまでの研究成果を積極的に活用する。
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次年度使用額が生じた理由 |
新型コロナ感染症の状況を鑑み、ロンドンでの文献調査やイブシャムでの踏査など、イギリス滞在を伴う研究をあきらめざるを得なかった。また、国内での研究会・学会への参加もかなわなかった。そのような事情から、当初旅費として計上していた予算に対して、支出が全くなかったために次年度使用額が生じたわけである。 他方、積極的に文献収集を進めた結果、本研究テーマを遂行するためには、さらに多くの書籍や資料集が必要であることが判明した。したがって繰越金は、現地調査や大英図書館でのオリジナル史料の史料論的考察のため、そして学会に参加することにより最新の研究成果を得るために、海外・国内旅費として用いるとともに、文献収集のための費用として活用する予定である。
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