本研究は、1960-1980年代のイギリスにおいてインナーシティ問題を背景として登場してくるコミュニティ・アクションと呼ばれる運動を対象として、戦後福祉国家史の分水嶺を形成する1970年代の歴史的状況を明らかにしようとする。コミュニティ・アクションとは、都市部の社会活動に関する組織・方法を総称するもので、運動の争点となるのは、公営住宅、公園、史跡保存、公共交通、保育所開設、成人教育など多岐にわたるものであったが、本稿においては「民衆的個人主義」(popular individualism)と結びつけて検討をおこなう。それは、戦後福祉国家のなかで自己決定権を高めてきた民衆レベルでの個人主義であり、この意識がコミュニティ・アクションとして発現したと考える。 本研究では、ロンドン西部に位置するインナーシティ問題に直面していたノッティングヒルのコミュニティ・アクションが対象となる。ノッティングヒルでは、1958年に大規模な人種暴動を経験することになるが、その背後にはインナーシティ問題が存在しているとされ、早急な「コミュニティの再建」が求められていた。こうしてノッティングヒルでは様々なコミュニティ・アクションが展開されることになるが、それを指導したのは若い世代の活動家たちであった。 ジャン・オマリー(Jan O’Malley)は、ノッティングヒルでコミュニティ・アクションの活動家であり、その活動の記録をまとめて1977年に刊行された『コミュニティ・アクションの政治』 は、この地域の躍動的な運動の全容を伝えてくれる。いわば、活動のエゴ・ドキュメントとも言えるこの回想録的な書物に加えて、2011年に労働組合評議会(Trade Union Council TUC)とのあいだでおこなわれたインタヴュー(オーラル・ヒストリー) などをもとに、オマリーの思想と実践の特質について分析した。
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