奈良時代、平城京周辺において行われた造営事業の実態を考古学の立場から解明するために、光明皇后による造営事業と造瓦に着目した。光明皇后による造営事業は、その対象遺跡の位置と所用瓦の系譜から、A(法華寺下層他)、B(興福寺他)、C(東大寺上院地区他)の3グループに分けられる。3者には相互関係も認められる。また、その造瓦には、平城宮の造瓦とは異なる独自の部分と関係する部分が存在した。光明皇后には、皇族としての性格と藤原氏としての性格の両面があるが、造瓦に関しては、父藤原不比等以来の家産を利用していたとみることができる。
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