研究課題/領域番号 |
21K01050
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研究機関 | 東京都立大学 |
研究代表者 |
杉浦 芳夫 東京都立大学, 都市環境科学研究科, 客員教授 (00117714)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | オランダ / 中心地理論 / 国土開発計画 / 結節地域 |
研究実績の概要 |
一般に、オランダの地理学者Keuningが1948年に発表した「オランダにおける都市の経済階層の実証」(オランダ語論文)はオランダにおける初期の中心地研究と位置づけられている。確かにChristaller(1933)は引用されているが、論文の目的は中心地理論の実証研究というよりも、むしろオランダの都市を核とする結節地域区分に中心地理論が利用されているというのが実態ではないかと思われる。 Keuningは1930年12月31日に全国で市町村ごとに調べられた商業・サーヴィス業店舗調査から判明する56業種の店舗数に基づいて、以下のような原則に従って各市町村の分類を試みている。①財・サーヴィス個々の購買・利用頻度の違いを考慮して、56業種を大きく6カテゴリーに区分した上で、カテゴリーごとに1~6のウェートを与える(例えば、最寄り品最低次カテゴリーのパン屋は「1」、逆に買い回り品最高次カテゴリーの百貨店には「6」というようであるが、ウェートの値は恣意的である)、②市町村ごとに、「カテゴリー別店舗総数×該当するウェート」の合計値(Ai)を計算する、③さらに、同一業種でも店舗規模は市町村人口規模に比例する傾向にあることを踏まえ、4つの市町村人口規模カテゴリーごとの1店舗当たりの平均従業員数を求めた上で、それらの値を、最小市町村人口規模カテゴリーの平均従業員数を1.0とする相対値(Bj)に変換する。④先に求めたAiに、当該市町村の人口規模に対応したBjを乗じて得られた値で、当該市町村の人口を除して得られる、「加重1店舗当たりの人口」によって市町村分類を行なう。⑤最上位階層に分類された16市町の勢力圏は、1942年1月12~18日に調べられたバス乗客利用調査から作製された利用客流動図に基づいて設定されたが、最上位階層市町間の支配・従属関係はこの方法では把握できない。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
4: 遅れている
理由
中心地理論の枠組を昭和の市町村合併に応用して、農村中心集落としての邑街地の育成を唱えた北村徳太郎に関する論文を昨年夏休み過ぎに『地理学評論』に投稿する予定で、最後の文献チェックをしていたところ、北村の論文「都市をめぐる問題点」が掲載された『都市問題研究』第8巻第3号(1956)に、人文地理学者・村松繁樹の論文「中小都市の地理学的基礎」が掲載されていることを知った。 そこで何の気なしにこの村松論文を読んだところ、論文中でChristaller(1933)の中心地理論のエッセンスについて平明に説明されていることがわかった。おそらくは同時掲載された村松論文を読んだ可能性が高い北村は、村松論文を通して、それまで十分には理解していなかった中心地理論こそが、彼が戦時中に学んできたドイツの国土計画論、具体的には勢力圏が入れ子構造を成すナチ・ドイツの集落配置モデルの理論的基礎を成すものであることを確信したのではないかと推察された。この点を当初予定していた投稿原稿の第Ⅴ章として書き加えることにより、ドイツ国土計画論の影響を受けた北村の階層的集落構成論が、中心地理論と接点を持つものであることを明確化でき、論文の完成度が高まったように思える。こうした補筆を加えた北村関連の論文を5月末までに『地理学評論』に投稿する予定である。 このようにR3年度の研究成果の発表に手間取った結果、R4年度の研究はKeuningのオランダの都市階層を解明した1948年論文を精読するだけで終わってしまった。
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今後の研究の推進方策 |
オランダの国土開発計画とKeuningの都市を核とする結節地域研究の関係を論じるには、R4年度に目を通すことができなかった下記のKeuning論文を精読する必要がある。したがって、R5年度はまずそのことに取り組む。 ① Indeeling van Nederland in verkeersgebieden (Dividing the Netherlands into traffic areas). Tijdschrift voor Economische en Sociale Geografie 32 (1941): 97-106. ② Een typologie van Nederlandse steden (A typology of Dutch cities). Tijdschrift voor Economische en Sociale Geografie 41 (1950): 187-206. そして当初予定していた、戦後イギリスで制定された都市・農村計画と中心地研究との関係について検討することにする。研究計画が遅れ気味であるため、とくにBraceyの農村中心地研究に考察の焦点を置くことにする。その理由は、北村関連論文をまとめる過程で目を通したイギリス農村地理学の文献から、同国において農村からの人口流出に歯止めをかけるために1950年代以降、社会資本を特定の農村中心集落に集中するkey settlement(核心集落)政策に影響を与えた研究の一つが、Braceyの農村中心地研究であることがわかったからである。ちなみに、北村徳太郎が昭和の市町村合併で成立した行政市の都市計画で重視した邑街地の育成とは、農村人口の流出を食い止めるための農村環境改善の一環を成すイギリスのkey settlement政策と軌を一にするものと理解される。
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