|
本年度は、ロシアを被告国とするヨーロッパ人権裁判所判決の特質、裁判実務における2020年憲法改正がこの領域に与えた影響を検討する論考を公表した。また、「憲法アイデンティティ論」という文脈を超えて、ロシアの憲法アイデンティティを考える素材として、ロシアの非常事態法制の検討を続けた。その結果、現代ロシアにおける国家緊急権に関わる法制度の特質について、一定の知見を得た。すなわち、ロシアの場合、憲法上の国家緊急権の行使形態である戒厳および非常事態は、制度上いくつかの欠陥は見られるものの、総じて「立憲主義の回復のために立憲主義を制限する」というジレンマに真摯に向き合うものとなっている一方で、単純法律のレベルでは、そうした「リベラルな」非常事態法を回避する抜け道が形成され、結果として国家緊急権の適用可能な領域が憲法上の制度を乗り越えて、一般の法律レベルへと広がっていった、というものである。当該知見については、『法制度からみる世界の危機対応ハンドブック』(東京大学出版会)の一部として収録される予定である。 また、以上の研究成果も踏まえつつ、本研究課題のもとで以下のような知見を得た。第一は、憲法アイデンティティが議論されるコンテクストであり、ロシアでは憲法アイデンティティがヨーロッパ人権秩序と対抗する文脈で、西欧と異なりナショナル・アイデンティティと同旨のものとして把握されていることを確認した。第二は、このようなアイデンティティの対立が発生する背景である。この点で、経済のグローバル化が立憲主義の断片化をもたらすとするメドゥシェフスキーの議論に着目した。第三に、ヨーロッパ人権裁判所とロシアの応答関係の全体像に関する私論を提示した。第四に、ロシアにおける立憲主義を規定する要因として、非常事態法との応答という角度から現代ロシア立憲主義の特徴付けを行った。
|