本研究の目的は、18世紀フランスの思想家ジャン=ジャック・ルソーのテクストを分析し、政治的な諸制度が人民に及ぼす影響に関する心理的・精神的なメカニズムを解明することにある。これまで本研究では、ルソーが政治と宗教の関係をめぐる議論を展開したテクストの背景にある時代的・社会的な諸問題について分析・考察を行ってきた。3年目にあたる今年度は『ポーランド統治考』のテクスト分析を中心に進め、ルソーがポーランドに提案する諸制度と現実的な問題との関連性を検討し、とくに制度として国制の一部を構成する宗教がいかにして狂信を克服しつつ、主体的な人民の形成に作用するかを明らかにした。従来の研究では、宗教は人民の心を国家の事柄へと結びつけることに寄与し、教育や習俗と同様に人民の内面に作用する制度として位置づけられてきた。これに対し、本研究は公共的な空間で実施される儀式をとおして人々の行為が規制され、共和国の人民に相応しい振る舞いが身に着けられていく重要性を指摘した。また、『ポーランド統治考』でルソーが宗教の有用性を活用した古代の立法者の叡智を高く評価しているにもかかわらず、ポーランドにおける制度として宗教については論じない点に関しても考察を行った。ルソーがポーランドに市民宗教を導入しない理由について、従来の研究ではポーランドのカトリック信仰が『社会契約論』第4篇第8章で展開されたキリスト教批判と衝突する点が指摘されてきたが、本研究はむしろルソーがポーランドの伝統的な信仰のうちに祖国愛の苗床を見出しており、そこでは政治体にとってのキリスト教の欠点が克服されていることを論証した。以上の点において、本研究はルソーの政治思想を18世紀における時代的・歴史的コンテクストに位置づけて解釈する方策を示し、とくに政治と宗教の関係について、政治理論が現実的な諸条件に即して修正・適用される道筋を詳らかにした。
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