最終年度である2023年度には、イタリアのバルカン占領に焦点を絞った研究を行った。そのために、2023年6月にサラエヴォ、ポドゴリツァ、ベオグラードを訪れ、博物館、図書館等で資料収集と文献収集を行った。また引き続き、イタリアのアフリカ占領やユーゴ占領、ロシア戦線での戦闘等に関する文献収集を行った。 これらの研究を通じて、イタリアのギリシア侵攻・アフリカ侵攻は、以前からのムッソリーニのバルカンと地中海支配の願望の現れであったが、それは実際には、ナチス・ドイツのノルウェーやフランス等の西欧征服の成功に刺激され、それへの競争として1940年10月に「並行戦争」として開始されたことが明らかとなった。しかし、この並行戦争が失敗したことにより、イタリアのその後の戦争はドイツに従属する「従属戦争」の性格を持つに至った。これらについての研究成果の一部は、2023年3月刊行の『日伊文化研究』61号に「それでもムッソリーニは参戦を選んだ」で公表した。 イタリアのユーゴ占領は、ユーゴが国内政治の転換により、締結した三国同盟から離脱し、親英路線に転換しようとした結果、ドイツのバルカン政策のために、ドイツが軍事介入を主導し、イタリアがそれに加わる形で開始された。ユーゴは独伊・ルーマニアで分割占領され、傀儡国家独立クロアチアが建てられた。イタリアは占領地と併合地で武装レジスタンスの抵抗に直面し、その鎮圧のために、各地で残虐な戦争犯罪行為を行うとともに、セルビア人、クロアチア人、ムスリムの民族対立を利用し、それぞれの武装組織を共産党主導のレスタンス組織との戦いに使用した。それは、1990年代のユーゴ解体時の「民族浄化」の先駆であり、人々の記憶と歴史認識の基盤となっていたことが明らかとなった。これらについては、2024年10月の日本政治学会で報告を予定している。
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