研究課題/領域番号 |
21K01916
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研究機関 | 立命館大学 |
研究代表者 |
吉田 誠 立命館大学, 産業社会学部, 教授 (90275016)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 生産復興運動 / 従業員共同体 / 雇用保障 / 人員整理 / 防衛闘争 / 混合組合 |
研究実績の概要 |
日本的経営の形成過程を再検討を進めるために、日産自動車の事例を特に取り上げ、その戦後復興期の労使関係と労務管理の施策の展開について検討した。 その中でも注目したのは労働組合が取り組んだ生産復興運動(闘争)である。職員主導で工職混合組合となった日産労組は、経営者を含めた従業員共同体という意識を涵養し、生産復興を通じた企業再建を目指すことになった。会社側もこれに協力する姿勢を示していたが、1947年7月に政府が業種別平均賃金を示したことから、次第に労使の対立が激しくなってきた。組合としては従業員共同体として雇用保障と生活できる賃金の確保を強く求めたが、会社はそれに応えなくなってきて、共同体意識が揺らぐことになった。 しかし、それでも組合は生産復興路線を追及した。1949年の経済九原則においては、企業整備が必至であるとの判断の下、組合は防衛闘争を唱えるようになる。厳しいながらも賃上げ要求を取り下げ、職場闘争の一環として残業代削減の取り組みを進めた。危機のなかで雇用を守るために企業再建への姿勢を明確にしたのである。残業削減は、職場闘争としての取り組みから労使の協同作業へと発展させ、大幅な残業時間および残業代の削減に成功する。また労使協同作業として市場調査を実施した。組合としては生産復興路線を、この労使協同作業に引き継がせる心積もりであった。しかし、人員整理案を提案し強行したのである。 会社が共同体であることを希求していたのは組合の側であって、経営側ではなかった。雇用保障についても、生活を保障する賃金についても会社は従業員を信頼させるようなイデオロギーを発しえていないのである。企業存続のために経営合理性を対置し、拒絶したのである。少なくとも1950年以前に長期雇用や年功処遇といった観念を経営側は提示していなかったことが明らかになった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
現時点での取り組みはドッジライン期前後の労使関係と人事労務管理の展開についての検討を精査し、その中で日本的雇用慣行のうち長期雇用(終身雇用)や年功序列(年功型賃金)といった要素がどの程度顕現してきているのかを、労働組合の活動とその対応という観点から考察を進めてきている。 その中で論点は戦後の労働組合が有する職員と工員が一つになった工職混合組合という特性がどのようにその日本的雇用慣行と影響しあっているかという点にあり、従来主流であった日本型雇用の特性がその組合の特徴を生み出してきたという考え方から、現在は混合組合という組合の特性が日本的雇用を作り出してきたという説へと転換してきたことを明確化することができた。 そして、その枠組みのなかで、一企業の事例研究として、日産の労使関係の展開を精査しているが、現段階では混合組合たる日産労働組合こそが、従業員共同体の意識を作り出し、生産復興に取り組むなかで、雇用保障や生活できる賃金を会社に求めてきたことを明らかにした。他方、しかし、生活ができる賃金をめぐって会社との関係が悪化するも、従業員共同体という枠組みを守るために経営状態が悪化したときには防衛闘争として企業再建の方向性を失わず、経営との協力関係を進めていたが、会社としては経営合理性を重視したのであり、日本型雇用につながるような施策やイデオロギーを有していたわけではないことを明らかにした。 これは当初設定していた戦後直後の経営側のイデオロギーや施策がいかほど終身雇用や年功の観念を有していたかを検討するとしていた課題を、一企業という限定はつくものの、具体的に検証することができたという観点から「おおむね順調に進展している」という評価に値すると考えた。
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今後の研究の推進方策 |
今後の推進方策については以下の二つを計画している。 一つは、現在まで進めている日産自動車の戦後初期から1950年代前半までの労使関係の展開と、その後の労務管理の進展についてについて精査していくことである。今年度までの成果をまとめるとともに、日産が雇用の枠組みをどのように変容させていったのかについて、年代記的な研究を行うことにしたい。使用する資料としては、浜賀コレクションやプランゲ文庫、また神奈川県地方労働委員会の日産争議関連審査文書である。 第二に、経営者団体のイデオロギーの展開を検討することにある。本研究の実施にあたっての前提となったのは、1950年前後にGHQが日本に先任権を導入しようとし、また経営者団体である日本経営者団体連盟も、それを積極的に受けいれようとしていたことであった。この受け入れの前提に、当時の日経連がどのような雇用政策、人事政策を実施していようとしていたのか、またその中で従業員の勤続年数や年齢というのはどのように扱われていたのかを考察したうえで、1950年以降の日経連の諸政策のなかで勤続年数や年齢がどのように扱われているのかを検討する。検討材料としては、日経連が発行していた機関誌である『経営者』に所収されている論文や記事、および同団体が発表してきた各種政策文書となる。期間としては、1948年から1954年を第一期、1955年から58年を第二期、1959年以降を第三期と区分しておきたい。この区分は第一期先任権受容期、第三期はアベグレンの『日本の経営』発刊以降という点から行っている。次年度については第一期を中心に精査することにしたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
コロナ禍の影響があり、主として訪問を予定していた国会図書館が入館規制を実施していたこともあり、予定通りの出張が実施できなかった。次年度については、入館規制が解除され、また私自身が研究専念年ということもあり、計画に応じた出張が可能となっている。今年度の分まで含めて資料収集とその分析を進めたい。また円安で進んでいるPC等各種研究に必要な機材が高騰しており、これに対する充当分として活用したい。
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