研究実績の概要 |
メディア業界における学校歴の偏りを解明するため、『日本新聞年鑑』に所収の「新聞人名録」の分析を開始した。本年度は1950年版、1955年版、1960年版のデータ作成を行い、それぞれ約480人、1,400人、2,700人分の学歴、学校歴などを把握し整理する作業を進めている。これにより、これまで未解明であった1950年代のメディア業界人の学歴、学校歴の概要を明らかにすることができる。また、本年度は上記に加え、第二次世界大戦時において日本の新聞界で業務に従事した記者、編集者、営業担当などの人材についても、その学歴、学校歴を検討するため、1940年代のデータの整備を開始している。 一方、他業種への波及効果については、教育・メディア・政治の結びつきを具体的な事例を通して明らかにするため、千葉県選出議員の関和知をモデルに、その活動の一端を描写する試みを行った。1894年に創刊された『千葉民報』に記者として務めた彼は、その新聞が廃刊後、1896年、自ら『新総房』という雑誌を立ち上げる。そこでは改進党系の政論のみならず、当時の千葉県政の問題点をジャーナリズムとして追及し、周囲の長老、同志に認められていく。こうした政治的拠点としてのメディアに加え、彼が東京専門学校(現・早稲田大学)の出身であったことも、改進党、進歩党、憲政本党の人的ネットワークにおいて重要である。その効果は、実際、関和知が国政へ進出したのち、第二次大隈重信内閣のときに政治力として発揮された。
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