研究課題/領域番号 |
21K04453
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研究機関 | 信州大学 |
研究代表者 |
勝亦 達夫 信州大学, 学術研究院総合人間科学系, 講師 (60789709)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 養蚕 / 仕組み / 蚕書 / 近代蚕室 / 構成要素 / 技術伝播 |
研究実績の概要 |
令和4年度は、佐藤家が蚕種や稚蚕飼育を担っていた点に着目し、この技術の周辺への伝播や中央の技術が明治~昭和にかけて浸透されたことを明らかにした。昭和初期にかけて近代蚕室の要素を備え、蚕が小さい時(稚蚕)を共同で飼育する「稚蚕共同飼育所」が建設され明治期に養蚕技術が確立して以降、中央政府から地方に典型的なモデルが伝播した近代化の諸相のひとつと捉えられる。 令和5年度、昭和初期に発行された農林省蚕糸局「稚蚕共同飼育所ニ関スル調査」に掲載された「稚蠶共同飼育所設計圖」を模範として、全国各地に稚蚕共同飼育所が建築された。 これらの蚕室においては、明治期から継承された近代蚕室の建築的要素が採用されていることがわかった。昭和初期には稚蚕と壮蚕飼育の分業が進み、必要とされる要素は稚蚕飼育に特化し洗練され、火炉や開口の造り方は、経済的かつ効率的な形式へと発達していったと考えられる。一方で、全てが同じ造りというわけではなく、地域の気候風土、特に寒冷な地域においては、火炉の構造に違いも見られ、地域の実情に合わせ工夫する必要があったと考えられ、全国一律の仕様を採用しながらも、養蚕のために考慮すべき「地域性」であったことが伺える。これらは、実際の建築と比較していくことにより明らかになると考えられる。 その上で、長野県上田市において、集落全体の養蚕建築の伝播と、養蚕建築群や空間形成がどの様に浸透していったか悉皆調査をおこなった。これにより、新築養蚕母屋や専用蚕室の分布を把握でき、明治35年までに集落内に建築されたことを明らかにした。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
古地図を読み解き、位置を把握した上塩尻地区の近代蚕室の建築遺構について詳細な実測調査を行った。こちらについては、順調に進み、一定の成果を上げることができた。一方で本年度は、蚕書に書かれた建築の構成要素の有無を確認して、上田蚕糸専門学校の指導の影響を探ることで、地域全体で比較し年代ごとの形成過程の実態を明らかにすることを計画していたが、有効な資料の発見に至らず、現在も信州大学繊維学部(旧上田蚕糸専門学校)や、東京蚕業講習所や京都蚕業講習所(京都工芸繊維大学)等の図書館の所蔵資料から上田地域との関係を探っているが、この点について遅れが出ている。
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今後の研究の推進方策 |
蚕業講習所や養蚕学校などの技術伝播拠点で所蔵されている資料を分析しながら、中央と地方の関係、地域の養蚕の普及に中心的な人物が書いた蚕書や養蚕法の影響を受けた建築遺構との比較を継続しつつ、上田市上塩尻の事例をもとに、仮説が要素ごとの伝播の違いを把握する。対象地域の建築の分析や全体の技術伝播の様相を把握する。特に、稚蚕飼育所の遺構や資料から、中央からの技術伝播と要素の変遷を明らかにし、地域独自の発展を遂げたという視点を加え検証していく。
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次年度使用額が生じた理由 |
古地図を読み解き、位置を把握した上塩尻地区の近代蚕室の建築遺構について詳細な実測調査を行った。こちらについては、順調に進み、一定の成果を上げることができた。一方で本年度は、蚕書に書かれた建築の構成要素の有無を確認して、上田蚕糸専門学校の指導の影響を探ることで、地域全体で比較し年代ごとの形成過程の実態を明らかにすることを計画していたが、有効な資料の発見に至らず、現在も信州大学繊維学部(旧上田蚕糸専門学校)や、東京蚕業講習所や京都蚕業講習所(京都工芸繊維大学)等の図書館の所蔵資料から上田地域との関係を探っているが、この点について遅れが出ている。 そのため、次年度補足的調査、文献収集を行い、結論を導くとともに論文としてまとめ、これまでの成果を住民向けにも発信する。
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