研究課題/領域番号 |
21K12092
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研究機関 | 日本大学 |
研究代表者 |
松川 睦 日本大学, 医学部, 准教授 (90318436)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 感性脳科学 / 感性形成機構 / 個体差形成 / ストレス緩和 / 抑制性神経回路 |
研究実績の概要 |
感性には個体差があることが知られているが、この差を生じる過程、つまり感性の形成過程については不明なことが多く残されている。動物が先天的に持っている価値判断基準が生後の経験によって改変されることを基に、個体差の形成過程に生じる脳内変化について調査することが本研究の目的である。げっ歯類は先天的に捕食動物に恐怖を感じる、つまり捕食者の匂いによってストレス反応が惹起されることが知られている。また我々はこれまでに、先天的に(一度も経験したことのない匂いであっても)、このストレス反応を緩和する匂いがあることも報告している。そこで本研究では、捕食者臭によって匂いストレスを誘発した動物と、捕食者臭とストレス緩和臭を同時に嗅がせることによって捕食者臭誘発ストレス反応を緩和させた動物とを用いて、何の匂いも嗅いでいない対照群に対して発現が有意に変化する遺伝子を、特定の脳領域を対象にしたRNAseq法を用いて定量化し解析することで比較・検討した。 これまでに嗅球(嗅覚情報を最初に受け取る脳領域)では、発現遺伝子に相違が認められなかった。続いて一次嗅覚野(嗅球からの嗅覚情報を最初に受け取る大脳皮質領域)である梨状葉皮質の解析を行ったところ、腹側吻側部と背側部とで異なる遺伝子発現変化が認められ、背側部においてストレス発現に関わる可能性のある遺伝子群が、また腹側吻側部においては匂いストレスの緩和に関わる可能性のある遺伝子群が発現していることが示された。そこで本年度は、匂い誘発ストレス反応に関与することがこれまでに示されている脳領域(分界条床核(内側部と外側部))における遺伝子発現変化をRNAseq法を用いて定量化し解析したところ、内側部と外側部とで異なる遺伝子発現変化が生じていることが明らかとなり、それぞれ梨状葉皮質の腹側吻側部と背側部との関連性について、神経回路網の推定を含めた考察を行っている。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
本研究では、捕食者臭(キツネ臭)によってストレスを誘発したマウスと、キツネ臭とストレス緩和臭(バラ臭)の混合臭によってストレスを緩和させたマウスとを用いて、何の匂いも嗅いでいない対照群に対して、特定の脳領域における全トランスクリプトームを対象に発現解析によりRNAを定量化して解析することで、発現が有意に変化する遺伝子を比較・検討することを企画し、その対象領域として嗅覚情報処理過程(嗅球(背側部と腹側部)、一次嗅覚野(腹側吻側部と背側部)、扁桃体梨状皮質移行領域)およびこれまでに関与が示唆されている脳領域(分界条床核(内側部と外側部)、中隔核(内側部と外側部))を選定したが、本年度はこの中から、匂い誘発ストレス反応の発現に関与している脳領域である分界条床核を対象として解析を行った。その結果のうち、特に内在する抑制システムに着目すると、分界条床核の内側部と外側部とで異なる抑制性神経細胞群に変動が生じていることが示唆された。 一部の抑制性神経細胞は、キツネ臭により、内側部では活動が抑制されているのに対して外側部では活性化していた。このことは以前我々が報告した分界条床核における活性化神経細胞数の変化(内側部で増加し、外側部で減少する)を裏付ける結果であった。さらにストレス発現に関与すると考えられている分界条床核から視床下部への出力は抑制性神経回路であることが知られており、つまり分界条床核外側部は、この視床下部への抑制性出力を抑制すること、言い換えると脱抑制に働くことでストレスの発現に関与することが考えられた。引き続き現在はバラ臭によってストレスが緩和された際の分界条床核内抑制システムの変動について解析を行っているところである。 以上のように、現在の状況としては当初の研究計画に基づいて、少しずつではあるが順調かつ着実に進捗しているものと考えている。
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今後の研究の推進方策 |
現在、ストレス発現に関与することが知られている分界条床核の内側部と外側部における遺伝子発現データが収集でき、キツネ臭によってストレス反応が生じる際に発現が変化する遺伝子や、キツネ臭とバラ臭の混合臭によってストレス反応の緩和が生じる際に発現が変化する遺伝子など、多数の遺伝子が検索されており、今後、それぞれの動物群における遺伝子発現の変化を詳細に比較・解析していく予定である。これまでにキツネ臭によるストレスの発現に関与する可能性の高い分界条床核外側部における抑制性神経細胞を見出しており、バラ臭の混合によるストレス緩和時における内在性抑制回路および細領域間にまたがる抑制システムの解析・検討を現在行っている。 次に以前に行った、一次嗅覚野である梨状葉皮質の腹側吻側部と背側部における遺伝子発現変化の解析結果と、今回新たに示唆した分界条床核の内側部と外側部における遺伝子発現変化の解析結果とを合わせ、嗅覚情報の処理からストレス発現の調節への関連性と関わる神経回路網の推定や推察につなげていきたいと考えている。 さらに引き続き、他の候補として考えている脳領域でのRNAseq解析を順次進めて、これらの異なる領域での遺伝子発現変化を比較・検討することで、匂いストレス反応を緩和する際に活性化する選択的な脳内抑制システムの一端が明らかになるものと考えている。これにより脳内のどこでどのような遺伝子が発現することがストレスの発現もしくは緩和に作用するのかの解明につながることが期待される。 この匂い誘発ストレス反応は先天的な反応であるが、生後の経験によって変化することを我々は以前報告しており、その際に、ストレス緩和と同様の選択的抑制システムが関与することを示唆している。本研究において、ストレス緩和のための脳内抑制システムが明らかになることで、経験に伴う個体差の形成過程を調べるための礎となるものと考えている。
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