最終年度となる令和5年度は、8月から9月にかけて約3週間、日系インドネシア人の集住地域である北スマトラ州メダンおよびその周辺とジャカルタでフィールドワークを実施した。メダンおよびその周辺に居住する日系インドネシア人二世とのインタビュー調査にもっとも多くの時間を費やした。日系インドネシア人二世の語りを基にして、彼ら彼女らのエスニシティがどのように強化されてきたのかを考えることができた。また、日系人組織である福祉友の会ジャカルタ本部とメダン支部、日系一世らが眠るカリバタ国立中央英雄墓地などを訪問した。日系人をインドネシアの歴史の文脈に位置づけて理解するのに役立った。 日系インドネシア人二世が家庭内で受けた日系一世=父親からの影響は、日本的慣習や日本食や日本語というように特定の文化要素に限定されない。そして日系二世が自らを日系人であると同定するのには、日系一世の生き方(仕事に対する考え方・しつけ・愛情表現など)に大きく影響されていることがわかった。 他方で、父親・一世が日本を捨て自分たちのために尽くしてくれたその生き様を目の当たりにしたり、とくに小学校時代に「日本人の子ども」であるという理由で、一過性のからかいを経験したりと個人・集団単位で二世のエスニシティは強化され維持されてきたと考えられる。小学校時代の一時的な冷やかしは日系人個々人の経験であるだけではなく、日系インドネシア人全体の記憶として残り続けていくだろう。また、それは苦い経験であった反面、残留日本兵を先祖に持つ日系人であるが故に、「日系インドネシア人と非日系インドネシア人」や「我々と彼ら」というように他者から区別されたことで、二世の「残留日本兵の子ども」であるという意識が芽生えた、または意識が高まったと捉えることもできよう。
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