令和四年度は、引き続き具注暦を中心に資料調査を行った。『大唐陰陽書』の諸本について、⑦天理大学附属天理図書館吉田文庫本(天文十一(1542)年、宗尤写、1冊、64丁)、⑧静嘉堂文庫本(近世写本、1冊、46丁)、⑨茨城県東茨城郡常澄村五反田六地蔵寺所蔵『長暦』の調査を終えた。 上記の調査結果を踏まえて、令和四年十一月十三日、早稲田大学総合研究機構日本古典籍研究所・北京大学人文学部・北京大学中国語言文学系主催「中日古典学ワークショップ」において、「百鬼夜行日解釈の再検討―『拾芥抄』を手がかりに―」と題し口頭発表を行った。 百鬼夜行日に関する従来の解釈では、『拾芥抄』に基づくものが多いが、そのテキストの多様性により、解釈が異なったりすることがある。また、百鬼夜行日の選定は節月を基本とするが、『拾芥抄』にはその手がかりを示さなかった。このような事情のもと、殆どの辞書や注釈書には、節切りについて一切触れていない。百鬼夜行日の正しい日取りは、節切りで正月と二月は子の日、三月と四月は午の日、五月と六月は巳の日、七月と八月は戌の日、九月と十月は未の日、十一月と十二月は辰の日である。 『拾芥抄』の諸本における百鬼夜行日の記載のずれが生じた背景について、『大唐陰陽書』の現存諸本の記載を比較検討した結果、諸本のうち、「忌夜行」がみられるものには、すべて『口遊』『拾芥抄』にある選日法と一致しない箇所がある。しかも、⑦天理大学附属天理図書館蔵本と⑤国立国会図書館蔵本の記載が一致するほか、残りの諸本の記載はみな異なる。これは単なる伝写過程における誤写問題ではなく、おそらく室町時代以降、「忌夜行」という暦注、ひいては百鬼夜行日は徐々に重要視されなくなったことに起因するものと考えられる。また、現存諸本の校訂には儒家と宿曜師の関与があったため、暦注の日取りに関する異なる解釈が生じた一因ではないかと推測した。
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