研究課題/領域番号 |
21K12865
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研究機関 | 東京大学 |
研究代表者 |
金 志善 東京大学, 大学院総合文化研究科, 特別研究員 (30720627)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2026-03-31
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キーワード | 在朝鮮日本音楽 / 植民地朝鮮音楽文化 / 音楽関連記事広告 / 京城放送局JODK / 京城日報 / 戦時音楽 / 植民大都市京城 / 植民音楽政策 |
研究実績の概要 |
本研究は、植民地朝鮮(1910~1945)の最大都市である「京城」を中心とした在朝鮮日本人の音楽文化に着目し、植民地朝鮮における音楽社会の実態に迫るものである。既存の研究成果により、当時の朝鮮人と在朝鮮日本人との関係はより多様で複雑であったことが浮かび上がってきている。本研究では、植民大都市「京城」における音楽文化において朝鮮人と日本人との文化が交差し、形成されていたことに注目し、「京城」の音楽文化の特質を当時の『京城日報』音楽関連記事・広告や京城放送局(JODK)音楽プログラムなどのメディア情報を手がかりにその実態を明らかにすることで、日韓近代音楽史上どのような意義を持っていたのか歴史的観点から考察を行う。 朝鮮では、1920年代から在朝鮮日本人コミュニティを中心に近代的都市の姿が整えられ、近代的な消費文化が形成されるようになり、蓄音機、ラジオ、新女性、化粧品、劇場、新派劇、喫茶店などのモダニズムの文化は資本主義社会へ進入した。朝鮮総督府の主導の下で資本主義が制度化され、産業全般的に量的な成長をなしており、資本主義下、消費主義の枠内で成立した。そもそも、消費の主体は資本主義的な価値を共有できるもので、文化生活・趣味生活ができる文化人・教養人として近代的な身分を区切っていた。そのため、所得の多い朝鮮人・在朝鮮日本人がその文化消費の主体となっていた。 しかし、朝鮮の音楽社会に関する研究動向をみると、「植民権力」に焦点化され、被植民者=被害者という立場からの研究が主に行われてきた。「植民権力」で説明できない様々な朝鮮の音楽文化を当時、文化をリードしていた大都市「京城」を事例に近代植民都市ならではの民族的、人種的な理解関係が交差していた実態を明らかにすることで、日韓近代音楽史の一側面を明らかにする必要がある。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
その理由は、本年度の研究成果として、10回の研究口頭発表(国際学術会議5回、国内学会5回)と、2編の学術論文(英語論文1編、韓国語論文1編)、4冊の単行本(単著2冊・共著2冊)を刊行したからである。 また、今までの研究成果を本にまとめる作業も進めており、民俗苑出版社(韓国)より『植民地在朝鮮日本人と日本音楽--新聞とラジオ放送からみる普及・享受・展開』(韓国語、2022年4月)が出版される。本書は、移住者・植民者の「日本音楽」の享受実態を明らかにし、植民地朝鮮の音楽文化の一面を照射したものである。「日本音楽」は、日本人の朝鮮移住に伴い、日本の境界を超え、日本人コミュニティーを中心に受容、普及、展開されていた。このような「日本音楽」の朝鮮移動・越境は、朝鮮社会の音楽の量的膨張を意味し、「植民地」支配という時代相を最も現す日韓近代音楽史において大きな特徴の一つである。在朝鮮日本人の「日本音楽」享受に伴う一連の行為は、これまで相互に断ち切られて叙述されてきた日韓近代音楽史を一つの流れとして結びつける手がかりを提供した。 さらに、『京城日報』に掲載されている「京城放送局(JODK)の放送編成表」の入力が完了し、金沢文圃閣にて『京城放送局(JODK)放送目録集・資料集』(仮)として3冊(全巻の一部としてまず3冊を先に)、それに伴い、別巻『植民地朝鮮と京城放送局(JODK)』(仮)の論文集の出版も決まり、これらは共に来年度(2022年8月頃)には出版される予定である。これによって、当時のラジオメディアと関わるメディア史、文化史、教育史などの実態が明らかになり、関連研究に基盤資料として大いに貢献できると思われる。
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今後の研究の推進方策 |
今後の研究は、研究計画書に書いたとおり研究を進めたい。来年度には様々な出版が予定されており、その作業を進みながら、新たな研究にも取り込みたい。植民大都市「京城」を中心に音楽文化がどのように形成、変容されていたのか、土着者(朝鮮人)と植民者(日本人)の交差点に注目し、研究に励みたい。植民都市「京城」の音楽文化の特質を今まで同様、当時の『京城日報』音楽関連記事・広告や京城放送局(JODK)音楽プログラムなどのメディア情報を手がかりにその実態を明らかにすることで、日韓近代音楽史上どのような意義を持っていたのか歴史的観点から考察する。 「植民地朝鮮」という特質を充分に理解した上で、植民大都市「京城」の音楽文化の全体像を描き出し、その実態から見えてくる結果を、今まであまり言及されてこなかった日本と韓国を近代で結ぶ「音楽関係史」として再構築したい。これは、京城の音楽文化の特徴は勿論、京城の日本人社会における音楽文化の形成過程の一側面が明らかになるだろう。予想される結果としては、植民大都市「京城」では、日本本土の地方都市と同様に様々な音楽ジャンルが受容されており、また、朝鮮特有の音楽文化も新たに生み出され、このような音楽文化は政治的・民族的・階級的関係を超え、交差していたのではないかということにある。本研究は、植民地朝鮮における朝鮮人・日本人社会の「音楽文化史」という新たな側面を日本と韓国における近代音楽史の観点から明らかにしようとしている。 これは、今まであまり取り上げられていない研究分野で、日韓近代音楽史の一側面を新たに構築しようとするものでもある。今後の研究は、このような問題意識の下で、研究発表に力を注ぎ、研究成果を日本のみならず国際会議などを通じて広げるように力を尽くしたい。
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次年度使用額が生じた理由 |
韓国やアメリカなどの出張を予定していたのだが、コロナの影響により出張ができず経費を使うことができなかったため次年度使用額が生じてしまった。今年度の情勢を見極め、資料調査、発表などの出張を行いたいと思っている。
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