研究課題/領域番号 |
21K12887
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研究機関 | 新潟国際情報大学 |
研究代表者 |
鈴木 佑也 新潟国際情報大学, 国際学部, 准教授 (20793087)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | ソヴィエト宮殿 / ソ連建築 / 政治と建築 / 建築競技設計 |
研究実績の概要 |
初年度となる令和3年度は、テーマとなっている建築競技設計ソヴィエト宮殿の経緯を整理することに焦点を絞った。本研究ではフルシチョフ政権期のソヴィエト宮殿を対象としてはいるが、その前のスターリン時代との比較も射程に収めている。そのため、スターリン時代におけるソヴィエト宮殿の特徴を自らの博士論文をもとに整理し、水声社から上梓した。またそうした特徴に影響を与えた1930年代後半から1950年代前半までのソ連建築界における建築潮流、特にこの時期に建築界で議論された規格化設計手法と大量生産型の工法を整理した。 その中で新たに登場する指導者フルシチョフが自らの政策の目玉の一つとして住宅政策において建設費用や効率を重視したことを結びつけ論じ、この時期における建築に対する権力側の態度の変化をまとめた。さらに政府指導者であったフルシチョフはその前の時代の指導者スターリンとは異なり、建築分野に対してアプローチを行った。彼はイデオロギー的側面だけでなく、建設費用や建築物の外観の決定などにも介入し、こうしたことによってスターリン時代とは異なる権力の行使を建築分野において発揮した。おいてこうしたことから対象とする建築プロジェクトではなく、そのプロジェクトを企画し、実際の建設において影響を与えた組織者(政府指導者)の動向とそれによってソ連建築界の潮流がどのように変化し、この建築プロジェクトに対してどのような影響を与える可能性があったのかを解明することができた。次年度ではこの論文を学術誌に投稿する予定である。 初年度の研究成果として学会もしくは研究会等で報告を行い、部分的な修正を経て学術誌に投稿する予定である。この論文でまとめられたことをフルシチョフ期におけるソヴィエト宮殿競技設計の前段階として位置付け、令和4年度ではテーマとなっているソヴィエト宮殿の競技設計に関する論文の執筆を開始したい。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
令和3年度である初年度は概ね順調と思われる。Covid-19による国外への渡航制限があったため、現地(ロシア:モスクワ)への資料収集が困難であったことから、現地の知人を通じて収集できる資料が限られた。そのため、「研究業績の概要」で記したように、まずはテーマとなるフルシチョフ期のソヴィエト宮殿の登場背景に関する研究に従事した。現時点での状況からcovid-19の感染状況以外に、ロシアの軍事行動に関する経済制裁と関連し現地への渡航が不可能となってしまった。この点に加え、現地とコンタクトをとって資料が収集可能となっても、その資料に対する支払いに関しても難しい状況にある。そのため、昨年度末から手持ちの資料からテーマと関連する部分を収集し、国内の大学図書館で可能な限りテーマと関連する一次資料を収集している。 しかしながら、フルシチョフ期のソヴィエト宮殿競技設計に関する資料は収集済みであるため、業績として挙げた論文(未投稿)の一部で用いることができた。この論文では組織者側からのこの建築プロジェクトに対するアプローチや影響力の度合いを明らかにした。この点は、最終年度に予定しているソヴィエト宮殿の建設予定地周辺の地区再編やモスクワ全体の都市計画に関する調査に活用することができる。またロシア以外の国からであれば書籍や資料を手に入れることができたため、この建築プロジェクトが登場する時期に国内で重要視されていた建築政策、特に住宅政策に関する調査を行った。これはソヴィエト宮殿という政府系大型建築物とは異なる用途ではあるものの、住宅建設で用いられた工法や意匠などは大型建築物にも応用されていることが把握できた。 この点を活かして競技設計全体の流れを把握し、次年度の研究調査を組み立てている。
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今後の研究の推進方策 |
今後の研究の推進方策として、渡航ができないという現況から現地で資料を収集するということをせず、現時点で収集できた資料からフルシチョフ期のソヴィエト宮殿競技設計に関する調査を中心に研究を進める。その中でも競技設計の経緯や競技設計に関連した組織や機関、政治家などのやりとりではなく、競技設計に提出された設計案の分析に注力したい。初年度においては、競技設計の経緯においてこのプロジェクトが立ち上がるまでのソ連建築界の潮流や政府の建築政策の転換に関して取り上げ、建築作品を取り上げて分析するということは行わなかった。この点を次年度では注力し、ソヴィエト宮殿競技設計に提出された設計案の分析のみならず、このプロジェクトと関連した建築物などを取り上げ、この建築プロジェクトの視覚的特徴を把握できるようにする。またフルシチョフ期のソ連建築潮流に関して、1920年代に一大勢力としてソ連建築界で影響力を有していた「モダニズム建築」の特徴が再び登場する。 しかし、そうした「モダニズム建築」が一旦批難対象となっていたため、その点を建築潮流においてどのように克服したのか、あるいはそうした特徴のリバイバルではなく、別のものとして受け入れられていたのか。この点を作品分析によって究明し、当時の建築潮流との比較を通じてソヴィエト宮殿に付与されたスタイルの特徴及びその背景を解明する。この調査に際して、運営した組織主体やプロジェクトに参加し設計案を提出した建築家や意見を出した技師といった建設現場に携わる人々の観点からフルシチョフ期のソヴィエト宮殿を調査したいと考える。 具体的には、競技設計において組織者側が問題とした点、競技設計に参加した建築家が提出した設計案で強調した点、さらに提出された設計案に対して付された各方面からのコメントを現在入手できている資料と書籍から整理し、年度内でその成果を発表する予定である。
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次年度使用額が生じた理由 |
初年度研究計画として、その大部分を現地での調査費用として充てていたが、covid-19による渡航制限とロシアのウクライナに対する軍事行動によって夏及び春の段階で渡航が不可能となってしまった。その関係で調査費用に当たる旅費は次年度に持ち越しとなった。その代わりに現地の知人に資料収集を依頼したため、その作業量及び謝礼として人件費とその他の費用で賄った。書籍代に関しても現地からの輸送の遅れなどもあり、購入を見送ったため次年度に持ち越し輸送状況の安定に際し利用するつもりである。
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