研究課題/領域番号 |
21K12913
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研究機関 | 山形大学 |
研究代表者 |
生田 慶穂 山形大学, 人文社会科学部, 准教授 (00846230)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2025-03-31
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キーワード | 連歌 / 最上義光 / 里村紹巴 |
研究実績の概要 |
近年、最上義光の人物像を見直す動きが広まり、その文芸にも積極的に光が当てられるようになった。とりわけ注目されているのが、里村紹巴と同座して巻かれた連歌の数々である。 本年度は、義光と紹巴が参加した文禄二年のふたつの連歌、すなわち文禄二年二月一二日連歌と文禄二年六月一三日連歌を分析した。文禄二年二月一二日連歌は、「梅咲て匂ひ外なる四方もなし」という義光の発句と「いくへ霞のかこふかき内」という氏家守棟(義光臣下)の脇句に始まる百韻である。そして、文禄二年六月一三日連歌は「梅さきて匂ひ外なる四方もなし」という二月一二日と同じ義光の句を発句としながら、「まがきになるる鶯の声」と紹巴によって脇句が付けられた、脇句以下の内容がまったく異なる一巻である。これらがなぜ同じ発句をもつのか、張行場所・張行目的・張行日とともに再検討し、義光と紹巴の関係構築の過程を探った。 先行研究では、張行場所については九州名護屋とする説と京都とする説とがあり、また張行目的については紹巴からのはたらきかけとする見方があった。史料・日記等によって参加者の足取りを追い、文禄の役における義光やその他の武将の在陣状況を調査した結果、次の経緯が明らかになった。①文禄二年二月一二日連歌は、名護屋在陣中の義光が在京の紹巴に発句を送って戦勝祈願として張行を依頼したもので、義光と紹巴の表立った最初の接点である。②文禄二年六月一三日連歌は、同年二月一二日の戦勝祈願の発句を用いて義光の帰洛を祝ったもので、張行は恐らく文禄二年六月だが、端作の日付には誤りがある。 参加者には、松前(蠣崎)慶広・成田氏長なども見え、連歌師と地方武将のつながりを複層的に示すことができた。義光の連歌資料の中には黒田官兵衛(如水)、山中長俊と同座した作品もあり、連歌の場における武将同士の交友関係も、今後の重要な課題になると予想される。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
コロナ禍におけるスタートとなったが、山形市(居住地)の資料を中心とした課題を設定したことで、大きな影響を受けずに研究を進めることができた。最上義光歴史館の全面的な協力を得られたことも大きい。県外の資料については、影印・翻刻・デジタルアーカイブを最大限活用した。
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今後の研究の推進方策 |
来年度は、義光注『連歌新式』と連歌作品の関係について分析する予定である。当該資料は最上義光歴史館に所蔵されており、すでにデジタル画像の提供も受けている。連歌作品の諸本はほとんどが県外所蔵であるが、コロナ禍による出張制限・閲覧制限は緩和されており、必要に応じて資料調査を行える状況にある。
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次年度使用額が生じた理由 |
端数が数百円残ったため、次年度予算と合わせて使用する。
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