2023年度は徳島市里見家所蔵資料の調査研究を行った。里見家は最上義光の家臣里見(東根)景佐ゆかりの文芸資料を伝えている。「里見家文書」には、連歌の点料紅花20斤や玄仍の死にふれる景佐宛昌琢書状、式目に関する不審書に対して昌琢の回答が添えられた高橋雅楽助宛景佐書状が伝わり、景佐と昌琢との関わりは早くから知られていた。これに加えて同家に紹巴奥書の典籍が複数所蔵されていることが、ごく最近、野口孝雄氏「東根八代城主里見薩摩守景佐の連歌号―号は「光景」(あきかげ)最上義光連歌衆の一人―」(『山形民俗』36号、2022年11月)で明らかになった。 当初の研究計画にはないことであったが、上記は非常に重要な資料群と思われたため、2023年10月・2024年3月に現地調査を行い、野口氏が紹介した資料の他に新出の連歌切2点を見出すことができた。義光と紹巴の関わりについて新たな手がかかりを得、さらに紹巴の伝記研究にも事績を付け加えることのできる貴重な発見であった。 天正9年(1581)紹巴奥書の『連歌新式追加并新式今案等』は、義光周辺の人物と紹巴の接触として非常に時期の早いもので注目される。慶長2年(1597)紹巴奥書の『伊勢物語抄』『詠歌大概』は、秀次事件に連座した紹巴の三井寺蟄居中の活動を示すとともに、紹巴の古典学とその伝播を考える上で参考になる。また『源語秘訣』は義光が山形に招請した時宗僧乗阿が義光に伝授した本を写しており、義光の古典学習のあり方をうかがい知ることができる。
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