研究実績の概要 |
本研究は、プルーストより先にラスキンをフランスに紹介したロベール・ド・ラ・シズランヌに注目した。この批評家によって書かれた『ラスキンと美の宗教』(1897)は、プルーストに多くの影響を与えたのである。この著作の影響のもと、美を信じるという唯美主義者(審美家)として、プルーストはラスキンをとらえていた(社会思想家としてのラスキンへの言及はほとんど見られない)。 プルーストは唯美主義者ラスキンについて研究した結果、1903年に書かれたことがわかっている『アミアンの聖書』の翻訳に付した序文で、ラスキンを「偶像崇拝の罪」で弾劾することになる。 この序文が書かれるまでの過程は非常に複雑であるので、この概念の生成をできるだけ厳密に跡づけることを次に目指した。まず、1900年から1904年までプルーストは、ラスキンについて11本の雑誌記事を執筆している。このうちの3本が変更を含みつつ序文に取り入れられた。また、その間プルーストは翻訳を行うとともに、厖大な数の訳註を準備していた。その中には「偶像崇拝」と関係づけられるものが多数含まれている。そして、発表されたこれらの文章以外にも翻訳のための7冊の草稿帳(N.A.Fr. 16616, 16617, 16623, 16628, 16629, 16630, 16631)がフランス国立図書館には残されている。 これらを厳密に読み解くには、それぞれの論考の理解だけではなく、それらの錯綜した関係について実証していく必要があることがわかってきた。
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