令和5年度は、近世の印刷本イソップ集について2本の単著論文を刊行した。 ひとつは、ここまで継続的に取り組んできた対象である近世の印刷本ファエドルス集について、1600年前後の初期刊本の編集をめぐる問題をまとめた論文である。印刷本編集にあたっての写本の取り扱いや編者の在り方を分析し、近代との相違も確認した。私たちが現在「ファエドルス集」として認識するものが、必ずしも近世のそれと一致するわけではないことに注意を要する。 もうひとつは、1610年刊行の印刷本イソップ集(ネヴェレ本)を中心に、当時のイソップ集でしばしば流用され重複する挿絵に注目し、ファエドルス集を含めて、ネヴェレ本に至る複数の近世印刷本イソップ集を分析したものである。挿絵とテクストの関係を詳細に検討し、ネヴェレ本の挿絵が抱える事情を明らかにした。なお、一般にテクストとそれに附された挿絵は内容が対応するものと想定されるが、流用される挿絵はその限りではない。その背後には、細部が微妙に異なる「同一」の話が時代を超えて複数存在するイソップ集ならではの特徴が浮かび上がる。一方、既存の挿絵がのちの異なるイソップ集の本文テクストに影響を与えていた可能性も考えられる。近世以降のイソップ集の在り方や伝播の追究にあたっては、印刷本における挿絵の問題も重要であると認識するに至った。 また、研究期間全体を通じて、15世紀後半から17世紀初頭にかけての、主にラテン語・ギリシャ語版の印刷本イソップ集を幅広く検討したが、とりわけファエドルス集と、当時の古典語イソップ集の一種の集大成であったネヴェレ本を詳細に分析することで、西洋近世イソップ集の諸相および伝播について、その一端を明らかにすることができた。とはいえ、未だ全体像を把握するには至っておらず、同時代に日本へもたらされたと思しきラテン語イソップ集についても、さらなる探究が必要である。
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