現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
2021年8月末にハンス=ヨアヒム・シュミット氏から問い合わせがあり、久留米収容所で通訳として活動していた「青山」なる人物に調査をおこなった結果、各種事実が明らかとなった。1)通訳の青山とは、青山延敏(あおやま・のぶとし, 1888-1974)で、筆名は郊汀。ドイツ語では延敏を音読みした"Embin Aoyama”の名で出版をおこなった。2)青山の生年時の名前は、森田敏雄(もりた・としお)で、実父は「豚博士」と呼ばれた養豚のスペシャリスト、森田龍之助(もりた・りゅうのすけ, -1917)、実母は水戸藩士・儒学者・史学者である青山延寿の娘にして、東京女子師範学校(お茶の水女子大学の前身)の開校時の首席であった青山千世(あおやま・ちせ, 1857-1947)であった。3)実姉の森田松栄(もりた・まつえ, 1886-1933)は翻訳家、実妹の森田菊栄(もりた・きくえ, 1890-1980)は社会主義者の山川均と結婚し、山川菊栄を名乗る。4)青山は五高の独文科卒業後、東大独文科に進学。ドイツ留学後、北大、広島大、専修大に勤務した。また1916(大正5)年6月22日に陸軍通訳に任官された。5)さらに調査を進めたところ、『日本及日本人』686号(1916年8月15日)に「郊汀生」の筆名で「久留米の獨俘虜」という記事が執筆されていることが判明。内容を検討したところ、青山が書いたもので間違いないことがわかった。文中では、エルンスト・アンデルス(Ernst Anders)やエミール・スクリーバ(Emil Scriba)といった俘虜とも親交があったことが伺え、久留米俘虜収容所における日本人のドイツ語通訳とドイツ兵俘虜との交流の一端を解明することができた。 上記の成果は、小阪清行氏やハンス=ヨアヒム・シュミット氏を通じ、日独双方の研究者ネットワークにおいて共有された。
|