本年度は、昨年度に引き続き、神社毎の触穢規定の成立背景を明らかにすることを目的として、古記録等の史料から神社参詣時の留意事項に関する情報収集を行うのと並行して、現状においては未翻刻である諸社服忌令の調査を実施した。 少なくとも鎌倉期の初期段階では、各神社に独自の触穢規定が存在したことが、既に『諸社禁忌』といった史料や、昨年度までの本研究によって明らかになっている。しかしながら、現存する服忌令を調査したところ、その多くは近世期の成立であり、かつ、そこにその成立以前の時期に属する前例の引用が、研究計画時の見込みと相違して殆ど確認されなかったこともあって、現存の服忌令の記載から、神社毎に特有の触穢規定が生まれた背景を明らかにすることには少なからぬ課題を残す結果となった。 一方で、その成立が比較的古い時期に属する服忌令や、古記録等の記載から窺える、院政期頃までの神社毎の触穢規定と、『諸社禁忌』のそれとを比較すると、その規定は細部において必ずしも一致しない(なお、この傾向は近世期に成立の服忌令との比較においては更に顕著である)。このことから、神社毎の触穢規定は、その「揺らぎ」が、同一の神社内においても大きかったことが指摘される。そのような「揺らぎ」の存在は、朝廷における触穢規定の謂わば大綱である『延喜式』触穢規定の運用をめぐっても確認されるところであり、或る事柄が触穢に相当するか否か、それを最終的に判断するのは神である、という基本的な姿勢が、神社毎の触穢規定が容認され得る1つの前提としてあったと考えられる。それと共に、摂関期から院政期にかけては、社殿に常駐するものとして神が位置づけられつつあったことが、神の「個性」への認識の深化、ひいては触穢規定の運用の幅の拡大を後押ししたことが推測される。
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