研究実績の概要 |
令和4年度は、山形大学附属博物館所蔵文書のうち、青柳清兵衛家文書79点約1,500コマ、鮨洗文書8点約110コマ、久野本村文書1点6コマの撮影を行った。また、国文学資料館所蔵出羽国山形宝幢寺文書21点約4,400コマの撮影も行った。こちらは宝幢寺の役者・役僧が毎日記帳しつづけている「当番帳」で、主に文化・文政期と天保期の簿冊について撮影した。
また、天保期「当番帳」の一部について分析を進めた。当時、住職としてあった昭洲は、寛文期以来続く住持の法脈とは無関係に入寺した人物で、文政13年(1830)に焼失したままであった本堂の再建と、多額の借財解消を目指し、寺政改革を断行していたことが窺えた。今回の調査・分析では、第一段階での改革において、寺領支配・年貢納入など寺の世俗部分を統轄していた寺役人家のうち、昭洲入寺後もしばらくは当主の存続が許されていた宮城家について、昭洲から家政不取締を指弾されて天保5年(1834)に追放となり、後任に寺領支配の拠点でもあった天童門前村の役人を務めていた今野氏を引き上げ、「崑野(こんの)」と改姓のうえ苗字帯刀をゆるし、新たな寺役人家とする。あるいは、寺中の多様な階層に向けての直書を頻発するなど、住持昭洲を頂点とした寺中構築に向け、様々な仕法を行っていたことが確認できた。
これらについては前年度に調査済みの寺領村側の史料とあわせ、寺政改革の実態について立体的に確認・分析を行う予定である。その他、比較の視点から、臨済寺において同寺文書15点約200コマの撮影を実施した。
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