最終年度は、8世紀後半から9世紀前半日本における護国思想受容の様相について、以下の事柄を明らかにした。 ①桓武朝における僧侶統制策について、破戒僧の寺院からの追放が頻繁に見えるが、この政策の思想的根拠を明らかにした。8世紀後半の日本でも『最勝王経』の注釈書が作成されれていたが、それは8世紀初頭の唐の慧沼『金光明最勝王経疏』に依拠したものであった。この注釈書には、破戒僧に国王と僧侶が対応し、最終的には教団追放するとの内容が記されている。桓武朝の僧侶統制策はこの内容に依拠したものと論じた。このことから、桓武朝の僧侶統制策は日本の王権の『最勝王経』受容過程の中に位置づけられるのではないかと主張した。 ②最澄『三部長講会式』にみえる天皇の霊魂(天皇霊)に災いを攘うこと(攘災祈願)を祈っている。このことを手がかりに、9世紀において天皇霊に攘災を祈ることはどのようなかたちで現れるのかを検討した。9世紀前半に至るまでは、山陵に対して、天皇霊が力を発揮して攘災するよう祈ることの他、天皇霊の祟りを鎮めて攘災するということが見えるが、仏教は祟りの側面にのみ対応していた。こういった天皇霊の祟りと仏教の関係は、9世紀後半には見えなくなる。それは天皇霊に対する観念が変化したことによると考えた。特に天皇を菩薩と見做す観念の受容により、天皇霊が祟ると考えられなくなったのではないかと考えた。また中国では、皇帝の霊魂に攘災を祈るということは全く見えなかった。このような祈願内容は日本独自の可能性がある。以上の考察を踏まえ、『三部長講会式』は9世紀日本において特異な内容を有するものとの見解を示した。
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