研究課題/領域番号 |
21K13110
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研究機関 | 国際日本文化研究センター |
研究代表者 |
齊藤 紅葉 国際日本文化研究センター, 研究部, 機関研究員 (00785529)
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研究期間 (年度) |
2021-04-01 – 2024-03-31
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キーワード | 明治維新 / 幕末 / 公家 / 対外認識 / アヘン戦争 |
研究実績の概要 |
令和3年度は、19世紀初頭から、安政5年(1858)までの公家の対外認識と朝廷内体制の変動の検討に取り組んだ。宮内庁書陵部・東大史料編纂所所蔵の徳大寺公純、久我建通、中院通富、野宮定功の日記を主に使用し、次のことを明らかにした。 まず、アヘン戦争をめぐる公家内での共通認識である。アヘン戦争の情報や欧米列強の覇権争い、日本への影響は、従来指摘されていた鷹司政通や近衛忠煕に水戸や薩摩から伝わっていたのみならず、他の公家の間でも「聖武記」が読まれるなど、公家内でも広まっていった。 次に、ペリー来航後の公家内の対外認識と朝廷・朝幕関係の意識の変遷である。ペリー来航後、アヘン戦争時とは比較にならないほど、公家内でも対外危機感が強まった。「鎖国論」の需要が高まりを見せ(徳大寺家)、「陵夷」のため家訓の改正を行うなど(中院家)、変化がみられる。このようななか、徳川斉昭と接触のあった三条実万らは、開国と、政治・軍事の幕府委任の必要を認識しながら、公家内の意向を、斉昭らを通して幕府に伝え、国策に影響を与えようとし始めた。これに対し、実万から斉昭の意向を伝え聞いていた久我建通は、開国反対、さらに対外問題への対応をめぐって摂家批判を行い、朝廷体制の改革を意識し始めた。従来、公家からの対外問題に対する強烈な意思表示は、安政5年の日米修好通商条約をめぐってとされてきたが、その萌芽はペリー来航後の公家内部での変動にあった。 安政5年、通商条約勅許をめぐって、実万は、このような外患が誘発した公家内部の対立を含む内憂をにらみつつ、勅許の重みの喪失を危惧した。一方、久我は、戦略的に開国反対、幕府に利用される朝廷という体制の改革を訴え、より多くの公家を糾合した(公家88人の列参)。このように、明治新政府樹立の要因となるアヘン戦争以後の対外危機意識が、公家内および朝幕の体制変革、勢力図の変遷に大きく関係した。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
当初計画していたとおり、宮内庁書陵部・東京大学史料編纂所所蔵の公家関係史料の収集、読解は、おおむね順調に進んだ。その結果、安政5年(1858)までの公家内の動向について、対外認識と朝廷内体制改革の意識の変遷を検討できた。さらに、公家の未刊行史料を多く読む中で、明治天皇の外祖父として王政復古、新政府樹立に重要な存在となる中山忠能の対外認識と朝廷内体制及び朝幕関係への意識が重要になってくることも認識した。 ただし、Covid-19の影響で、当初計画していた水戸や福井などへ史料調査に赴けず、武家側が公家の思想や動向をどのように捉えていたのかについては、今後の課題として残った点は、予定よりやや遅れている。
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今後の研究の推進方策 |
安政6年(1859)から文久2年(1862)を対象に、朝幕関係の変化をめぐる公家内での相違の発生を明らかにする。従来、公武合体を求めて和宮降嫁を推進した岩倉具視の活躍と批判に焦点が当てられてきた。しかし、実際には幕府に対抗しうる朝廷の創設を意識した岩倉や三条らと、幕府に依存した野宮らの相違が生じたことを明らかにする。また、今年度、意識し始めた中山忠能の対外認識および朝廷内体制の改革への意識の変遷や、人脈の検討を深め、王政復古へのつながりを明らかにしたい。その一方で、大多数の公家は、国内外情勢を鑑みて対応の模索を続け、この公家内全体の変化が明治後につながる重要な問題であることを指摘したい。 さらに、今年度、十分には検討できなかった、武家の公家認識の変遷についても検討を深める。
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