本年度は、日中の名跡における筆の運用方法を試書によって推測し、その傾向について考察した。前年度までの検討で導かれた筆管の回転を想定した場合、①書写対象物の平滑性、②前代の字径や通常の字径との差、③筆毫の変化、④親指上での回転反転の制約という4点が大きく関与するものと思われ、これらを柱としつつ「郭店楚簡」(紀元前4世紀、荊門市博物館蔵)から黄庭堅「松風閣詩巻」(1102頃、台北・国立故宮博物院蔵)までの16点によって考察を進めた。 その結果、新たな書表現の出現には、A従来より大きい字径で書く状況と、B筆管を時計回りに回転させるという2点が必須であったと推測された。Aは、ハレの場のために書く、また表面の粗い紙に書くなどといった状況が想定される。また、Bにより転折の角度や点画の長短などが整えられ、典型ともいうべき字形に変化していったものと思われる。これらにより名筆が誕生したと推測され、最終的に円転の目立つ書風に至るものも見受けられた。 また、王羲之系統とされる一群の書跡においては、当初時計回りでほぼ統一されていた筆管の回転が、後年に(または速く書く際に)時計回り・反時計回りを交えるようになったと推測された。これにより省力的に書けるようになり軽妙さも加わった一方、名筆として注目される特徴が少なくなり、当該書法が衰退していくものと想定された。以上は、口頭発表「筆管の回転を基軸とした書道史記述の可能性について」(全国大学書道学会令和5年度大会、2023)において公表した。 3年間を通じた検討の結果、一世代にしか現れないような優れた書芸術は、手指運動を効果的に用いた筆管の回転により生じたものであり、これに字径など書写環境の変化が加わって多彩な表現が生み出されたと考えられる。意図的な書風選択を行う現在の学習法はこれと大きく異なることから、今後は上記を追体験する新たな教授法の開発を目指したい。
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