揺動散逸定理に代表される「ゆらぎの統計」の研究は少なくない。また、LandauやPrigogineらは、局所平衡を天下りに仮定するゆらぎの流体力学を提唱した。しかしながら、どのような時空間スケールのゆらぎが、どのような根拠をもって、局所平衡の仮定と両立するのかについては、十分な議論はなされていない。本研究は、このような観点に立って、ある時刻にある位置に現れた変動成分が、次の時刻に何処でどのように振る舞うのかを分子レベルから議論するための理論的枠組みを、分子動力学に基礎づけられた「ゆらぎの流体力学」と名付けて、これを創成するための基礎的ではあるが萌芽的かつ挑戦的な課題に取り組むことを目的とする。期間全体にわたる研究実績は次のように要約できる:ゆらぎの詳細な力学を論じる際、従来はLiouville方程式が基盤となっていたが、これを分子動力学に置き換えることを目指して、理論整備を行った。Liouville方程式の分布関数は理論上Γ空間の解軌道のGibbs集団とみなされるが、現実の系の観測は有限粒子数・有限時間の軌道の平均によってなされており、Gibbs集団は計算の便宜を図るための概念である。分子動力学計算をとおして有限粒子数・有限時間の軌道の平均を実観測量に変換するための理論をおおむね構築できた。最終年度の実績は以下の2点である:(1)非平衡状態と局所平衡状態の差異が実観測量にもたらす効果を、ES-BGKモデルを例にとって線形分散関係の厳密な導出に取り組んだ。一般に見過ごされているが、現実系の観測過程においてそれが非平衡状態にあるか局所平衡状態であるかは、実際問題として検証できない。線形分散関係のような明確な指標を導入する必要がある。(2)上記と同じ理由で、ES-BGKモデルを用いて、平板の振動によって生じるせん断流れに対して、これまでにない精密な非平衡状態の数値的研究を行った。
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