研究課題/領域番号 |
21K18772
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研究機関 | 奈良県立橿原考古学研究所 |
研究代表者 |
内藤 元太 奈良県立橿原考古学研究所, 調査部調査課, 主任技師 (00838394)
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研究期間 (年度) |
2021-07-09 – 2024-03-31
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キーワード | 法隆寺 / 建築史 / 斗拱 / 雲肘木 / 中国建築史 / 古代建築 |
研究実績の概要 |
法隆寺西院伽藍諸堂の建築様式の成立を研究するには考古資料を扱う必要があるが、建築史家がこれらの資料に着目することはまれであり、1980年代以降研究が盛んになされている状況ではない。このような状況を踏まえ、本研究では考古学的な視点から、現地調査を中心に資料を悉皆的に集成し、主に唐代以前の建築を表現した考古資料と法隆寺系建築様式とを対比することで、法隆寺系建築様式成立の背景を探ることを目的としている。 しかし、令和4年度は新型コロナウイルスの流行により、予定していた中国での調査を行うことができなかった。したがって日本国内で入手可能な論文や発掘調査報告を集成し、遺物の写真・図面等から研究を進めるとともに、当初の方針を変え、韓国において、百済及び新羅の遺構・遺物や、鳳停寺・浮石寺など韓国現存最古の木造建築の調査を行い、高句麗壁画墓に関する資料の収集も行った。その中でも特に法隆寺系建築様式の遡源を考える上で重要な高句麗壁画墓の建築表現については重点的に検討を行った。その結果、中国北部で見られる建築構造の変化に伴って、高句麗壁画墓の建築表現も変化している可能性があること、特に北魏墓に表現された建築表現と同様の構造が高句麗壁画墓にも表現されていることが判明した。これらのことから、東アジアにおける建築構造の変遷が中国を中心に、大まかに同調して発展していく様相を指摘できる。特に5世紀末から6世紀初頭にかけては、少なくとも北朝の地域では頭貫の本格的導入、人字拱の曲線化、入母屋屋根の盛行、柱頭から二手先以上跳出する斗拱の出現など建築構造変化の大きな画期が認められる。資料がほとんど残存しない南朝の状況が明らかでないが、現状の資料状況では法隆寺系建築様式はこの画期以降の建築様式であることを指摘できる。 令和4年度はこの検討結果をまとめ、令和5年度以降発表予定の論文や研究発表の作成を行った。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
本研究では中国における資料調査を基に資料集成を行う予定だが、新型コロナウイルスの感染拡大により、海外渡航が難しい状況にある。現在は日本国内で入手可能な文献や見学可能な資料の調査を進めている。中国国内の資料については、博物館に展示されているが、文献での報告がない資料などが多数存在するため、現地での資料調査ができない現在の状況は研究の遂行に遅滞をもたらしている。
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今後の研究の推進方策 |
本研究においては中国国内での現物資料の実見がかかせないが、当初の想定以上に新型コロナウイルスの流行が長期化しているため、研究期間内に中国国内での調査ができない可能性がある。今後この状況が続く場合、欧米各国及び韓国国内に所蔵されている関連資料の現地調査を行うことも想定している。 また文献中心の研究になり、実際の建築細部の研究ができない場合、研究対象の時代を大きく広げ、直接的な法隆寺建築様式の遡源研究ではなく、文献報告などによって知りうる情報から、東アジア建築史という枠組みの中での法隆寺建築様式の位置づけを今後研究する可能性がある。
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次年度使用額が生じた理由 |
予定していた中国での現地踏査を行えなかったため。新型コロナウイルスの流行が終焉し、中国とのビザなし交流が再開し次第渡航する予定。
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