最終年度である令和5年度は、前年度に新型コロナウイルス感染症オミクロン株の蔓延によって調査を断念した音楽理論書や楽譜写本の分析を行った。具体的には『現代人は簡潔さを賛美し』(1300年頃)を収めた写本I-BGc MIA 266とI-BGc MAB 21 や後フランコ式(1280年頃-1320年頃)の記譜法を用いたGB-Lbl Add. 24198等の楽譜写本を調査対象とした。これらの音楽理論書や楽譜写本ではケルンのフランコ『計量音楽技法』(1280年頃)の影響が見られるが、その教えを全て反映しているわけではなく、例えば第12・14章で述べられているコプラやオルガヌムといった1280年以前よりある計量音楽のレパートリーに関しては当時の実践にそぐわなかったのか、今回調査した音楽理論書・楽譜写本では触れられていない、あるいは楽曲として収められていなかった。 これまでの研究全体の成果としては、現存する前フランコ式(1270年代-1280年頃)の理論書の推定年代から計量音楽のリズム理論および計量記譜法は1270年前後に成立したという仮説を立てた。先行研究では、これらは13世紀前半か半ばに黎明したとする説が強かった。しかし、現存最大規模の計量音楽の選集であるI-Fl Plut. 29.1(1245-1255頃に成立)がまだ計量記譜法を用いていないこと、また計量音楽のリズムおよび計量記譜法について言及した理論書の成立年代が1270年よりも前に遡れないことから、1250-1260年代にはまだ計量音楽のリズム理論および計量記譜法は登場していなかったあるいは体系化されていなかった可能性が高い。また、1280年頃にはフランコによる新しい理論と記譜法が瞬く間に広まったため、前フランコ式の理論や記譜法は1270年代におけるわずか10年ほどの期間でしか実践的に用いられなかったと結論づけた。
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