研究実績の概要 |
諸本(漢訳4本、チベット語訳、サンスクリット原典)対照を行い、現存最古の薬師経である『抜除過罪生死得度経』(大正 No.1331, 『灌頂経』第12巻)の訳注研究を公開した。 作成した研究資料に基づいて、聞名思想にかんする調査を行い、薬師経の発達史を明らかにした。薬師仏の十二誓願を例に言うと、聞名思想は、願文において、まったく説かれない(=A群, 5世紀)、計3つの願に説かれる(=B群, 7世紀)、計7つの願に説かれる(=C群, 8世紀)という異同のある思想となっている。このことから、薬師経における聞名思想は、後代に付加されたものである可能性があり、願文に見られる異同は経典の発達史を反映するものとして以前より注目されていた。 そこで、願文に続いて語られる功徳文に注目すると、この範囲では、上述のB群C群という区別が見られなくなることがわかった。この区別の消失は、功徳文への聞名思想の付加がB群の資料の時点(=7世紀)で完了していたことを示すのであり、一方、願文はC群の資料の時点(=8世紀)に至って、最終的な計7願への付加が完了したということになる。このような分析結果に基づいて、薬師経における聞名思想の付加は、初期段階では功徳文を中心に行われ、その後に願文へと移行していったという、より具体的な発達史を明らかにした。 さらに、聞名思想を付加した背景に考えられる思想的変遷について、一見解を提示した。功徳文において、BC群の資料に「仏の名を聞く」とある箇所は、A群の資料では「経を聞く」となっていることが諸本対照によって知られるのであり、聞く内容が経から仏名へと変化していることがわかる。このことから、薬師経の発達過程において経巻信仰から仏名信仰への思想的変遷があったと推定した。そして、その変遷が起こった具体的な年代として、漢訳諸本の訳出年代を手掛かりに、5世紀から7世紀のあいだを想定した。
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