2022年度において、主に近世日本医学と明清医学との関係を越境する医家らの活動という視点から検討を行った。 中国に渡った日本人医家は、現地の医家・文人と交流を行い、当時の中国において最新の医学情報や医書を日本に紹介し、近世前期の医学に大きな影響を与えた。一方、明清交替期に日本へ亡命した明代の医家、および徳川吉宗の招聘により渡来してきた清代の医家は、17、18世紀における中国の医学情報、最高レベルの医書を日本に紹介し、近世中期以降の医学に多大な影響を与えた。なお、来日した中国人医家らは、幕府の医官・日本人医家と積極的に交流を行い、診療活動などを実施したほか、長崎で中国人医家のネットワークを形成した。北山友松子の医学は、まさに長崎で形成されていた中国人医家の共同体のなかで培われたものだったのである。特に、北山友松子が早くから『傷寒論』に注目したのは、来日した中国人医家を通して、明末における『傷寒論』研究ブームを把握していたことを検討した。 他方、近代になると、中国人学者・留学生・商人や医家たちが中国に持ち帰った近世日本の漢方医学書は近代中国の医書・医学研究に大きな影響を与えた。近代中国の医家である陳存仁は、日本に渡って93種類の日本の漢方医学書を収集し、『皇漢医学叢書』として1936年に中国で上梓した。そこには吉益東洞の医書、北山友松子の『北山医案』、多紀元簡の『傷寒論』研究書といった近世日本の医書が収載された。すなわち、近世日本の医家による医書が中国へと環流し、中国の医家に影響を与えた。
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