今年度は、雑誌『日本近代文学』第108集に「帝国の論理/論理の帝国―横光利一『旅愁』と「日本科学」」を投稿したものが掲載された。 同論では、戦時下に書き継がれた横光の長篇小説『旅愁』(『東京日日新聞』『大阪毎日新聞』1937.4.14夕刊―『人間』1946.4)について、ちょうど連載の狭間となる1941年あたりを中心に興隆していた「日本科学」をめぐる言論動向との関連を検討した。「日本科学」とは、帝国日本に独自の「知」のあり方をめぐって、当時の言説空間で盛んに討究された表象概念であり、それは横光自身の問題意識と深く結びつくものであった。主に1930年代に発表された『旅愁』第1・2篇では、「知性の民族性」の有無をめぐる認識論的な葛藤が描かれていたが、1942年に再開された第3篇以降では、西欧近代とは異なる「論理」の所在が検討されたうえで、前述の葛藤に強引かつ独善的な解決が与えられる。そこには、1941年5月に確立した科学技術新体制を基軸とする「日本科学」論の興隆が関わっており、その思想的変転は、同時代の座談会「近代の超克」(『文学界』1942.9―10)に見いだされる特有の話法とも共振するものである。こうした時勢において、横光が『旅愁』を書き継いでいったことの意味を検討することで、その多面的な相貌を共時的なパースペクティヴから再定位することを試みた。
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