研究課題/領域番号 |
21K19983
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
篠原 学 大阪大学, 言語文化研究科(言語社会専攻、日本語・日本文化専攻), 助教 (90905978)
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研究期間 (年度) |
2021-08-30 – 2023-03-31
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キーワード | クンデラ / モデルニテ / 政治性 / 制作 / 作者 |
研究実績の概要 |
本研究は、ミラン・クンデラの小説作品および小説の理念を美学上のモデルニテ(近代性)の視座から再検討し、20世紀フランス文学においてクンデラが占める位置を明確にすることを目指すものである。この目標を念頭に置いて、まずはクンデラのテクスト、とくにモデルニテの問題を論じた評論集『小説の技法』と、時期的にこれと前後して発表された二つの小説作品『笑いと忘却の書』および『存在の耐えられない軽さ』を精読した。その成果の一部として書かれたのが、論文「小説と政治的なものー『存在の耐えられない軽さ』を再読するー」である。この論文では、『存在の耐えられない軽さ』において、小説の構成における美学上の配慮と、物語に書き込まれた政治的な事象とが緊密に結びついていることを明らかにした。この認識は、今後、クンデラの小説におけるモデルニテを考察するさいに、一つの基盤となることが期待される。 上述した論文を執筆する過程では、クンデラの小説技法が、20世紀フランス文学のなかのモダニズムの潮流と接点をもつことも確認された。この現象を考察するさい着目したのが、クンデラにおける作品制作の様相である。クンデラにとって作品の制作は、作品に作者の意図をいかに越えさせるかという問題として現れる。口頭発表「制作と遊戯ーミラン・クンデラの亡命後の小説についてー」では、クンデラがこの問題を解決するために、作品制作のプロセスのうちに、自身の意図を裏切るような遊戯性や偶然性を導き入れようとしていたことを明らかにした。こうしたクンデラの試みは、1920年代にそれぞれの立場で文学の新しい可能性を模索していたブルトンとジッドの取り組みに近しいものがある。このことから、クンデラの小説のモデルニテを考えるうえでは、この時代のフランス文学におけるモダニズムが一つの重要な参照項となりうることがわかった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
3: やや遅れている
理由
モデルニテを軸としてクンデラのテクストの分析を進めていくなかで、小説『存在の耐えられない軽さ』については、その成果物として論文「小説と政治的なものー『存在の耐えられない軽さ』を再読するー」を発表することができた。ただしこの論文では、クンデラの小説における政治と美学の接点が、小説のモデルニテに関わるものであることの論証が不足していた。 この瑕疵は、研究代表者の依拠する「モデルニテ」概念の定義が、この論文を完成させた時点では、当初想定していたほどに理論的に十分な精度に達していなかったことに起因している。研究代表者は、クンデラがモデルニテに関して表明している見解を収集し、それらを文学史的な観点から再構成することによって、その概念の定義は比較的容易に行えるものと予想していた。しかし、この作業を進めるにつれて、クンデラの言説から浮かび上がってくるモデルニテは、ヨーロッパの近代世界全体を視野に収めながら、同時に、一般に「モダニズム」の呼称のもとに括られる20世紀初頭の文学・芸術上の潮流に近しいことが明らかとなってきた。このような概念の振れ幅に気づいたことで、モデルニテに適切な定義を与えるための理論的作業に若干の軌道修正を加えざるを得なくなったことが、本研究の遂行が現在やや遅れている理由である。 もう一点、クンデラの小説を再読するなかで、当初はモデルニテとは明確な関連がないと考えられていた小説内の多くのテーマが実際にはこれに関連していることがわかり、それらの発見を整理することに時間を要した点も、上記の理論的作業が遅れた一因である。 以上の点を除けば、研究は当初の計画から見て順調に進んでいる。
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今後の研究の推進方策 |
まずは本研究課題のうちで現在やや遅れている部分である、モデルニテの概念定義を早急に行う。具体的には、クンデラが評論集『小説の技法』のなかで展開している作品制作の問題を、1920年代のフランスにおける小説芸術を取り巻くモダニズム的状況に関連づける。それと並行して、小説『不滅』および評論集『裏切られた遺言』の精読を進めていく。これらの著作においては、18世紀フランスの啓蒙主義思想に由来する諸価値にしばしば疑問が呈されており、近代のプロジェクトに対するクンデラの微妙な距離感を見てとることができる。その距離感を記述することで、本研究が捉えようとしている「モデルニテ」の外縁を明確にしたい。 この概念定義を行ったのちは、クンデラにおけるモデルニテの重要性を、作家の個人史において大きな転換点となった亡命との関連づけにおいて考えてみたい。そもそも、クンデラにモデルニテへの志向があるとすれば、それは、クンデラが東側での社会主義リアリズムに反発していたことと無関係ではありえない。モダニズムのなかにある政治的な志向性、とくに民主主義との関係を考慮しても、西側への亡命は、小説家クンデラの形成にとって重要な契機となったと考えられる。この点を解明するために、亡命後のクンデラの思想的深化を、当時の言説状況との関連のなかに置いて跡付けたい。その資料調査のために、8月から9月にかけての渡仏を計画している。 10月以降は研究の成果をまとめ上げ、発信することに専念する。まずはクンデラにおける亡命とモデルニテの関係を主題として論文を執筆する。また、国内のクンデラ研究者や隣接した領域の研究者とオンラインで勉強会を行い、意見を交換するとともに、自説の精緻化に努める。この勉強会の延長上で、20世紀フランス文学のモデルニテについてのワークショップを開催することも検討している。
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次年度使用額が生じた理由 |
当初の予定では、当該年度の支出は物品費がその大半を占めており、85万円の図書購入費を計上していた。しかし、研究に着手してみると、どのような図書が必要かは、研究を遂行するなかで徐々に明らかになっていくものであることが判明した。そのため、当該年度は研究上基本中の基本となる図書のみを購入し、これらをもとに関連分野の知識を深めつつ、次年度に購入する図書を決定した。それらの図書の一部は、次年度に渡仏したさいに購入する予定である。 当該年度の物品費は、記録用媒体やプリンタなど機器の購入にも充てられる予定であったが、当該年度の研究はテクストの精読が中心であったため、これらの機器を早急に購入する必要がなかった。これらは主として渡仏後の資料整理や、ワークショップの実施にさいして必要となるため、次年度に購入することにした。 また、当該年度は人件費・謝金ならびに旅費として20万円を計上していたが、勉強会やワークショップについては他の研究者と予定を調整中であり、当該年度中に実施できなかったこと、学会発表については開催校が研究代表者の所属している大学であったことから、これらの予算は当該年度には使用しなかった。このうち人件費・謝金については翌年度分と合わせて、今後の勉強会およびワークショップで使用する。旅費については、国際情勢から航空運賃の値上がりが見込まれることから、渡仏の費用に充てる。
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