官業払下げは、日本の工業化の画期、また財閥形成の端緒として広く認められている。しかし、官業所在地域の人々による払下げ政策への対応や、官業払下げの各局面の政治史的意味については、十分な議論がなされてこなかった。本研究では、官―民の対抗関係のみならず中央―地方の対抗関係にも着目し、近代国家形成期にあたる明治前期の日本社会総体の中に官業払下げを位置づけることを目指した。 最終年度においては特に、東北地方の鉱山とその払下げについて調査した。工部省が経営していた東北地方の諸鉱山は、明治10年代末、藤田組や古河市兵衛に払下げられたが、多くの事例において、鉱山周辺地域の人々は自分たちへの払下げや官営継続を求めていた。地元の人々の希望が容れられず、中央の政治家と結びついて成長しつつあった商人が払下げ対象者に選ばれたことの背景として、次の点が指摘できる。①工部卿佐佐木高行の、官営事業を急速に処分しようとする志向。②長州系の政治家の工部省への介入。③一地方の利害を重視し、国家規模の構想を口にしない人物に対する佐佐木の評価の低さ。④東北地方内部や県内部での地域間対立。 前年度から継続して、北海道における開拓使の事業に関する検討も行った。明治10年代の開拓使事業は、東京に指令塔を置き、金融・金融・生産・加工・運輸・販売が一体となったシステムとして機能していたことに特色があった。黒田清隆ら開拓使は、このシステムの収益化・独立採算化を目指したが、明治14年の払下げ事件により挫折した。開拓使の政策は、官の指導の下、人々が平等に豊かになることを重視する傾向が強く、旧場所請負人など北海道現地の富裕商人とは対抗的な関係にあった。 以上の検討を通じて、明治前期の官業払下げにかかわった各主体の政治・経済的志向とその対抗関係が明らかになりつつある。今後さらに検討を進め、発表する予定である。
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