ヘリコバクター・ピロリ(ピロリ菌)は、自らが保有するミクロの注射器様装置(IV型分泌機構)を用いて発がんタンパク質CagAを標的となる胃上皮細胞内に直接注入し、細胞のがん化につながる種々の細胞機能障害を引き起こす。今年度の研究により、ピロリ菌がCagAを標的細胞内に移行させる分子機構が明らかとなった。まず免疫電子顕微鏡を用いた解析から、ピロリ菌内で産生されたCagAはIV型分泌機構の先端に固定した状態でピロリ菌体表面に露出して存在することが解った。一方、ピロリ菌が直接接触した胃上皮細胞の細胞膜表面側(外葉)に、本来は細胞膜内葉にのみ存在するリン脂質ボスファチジルセリン(PS)が反転露出することを見出した。この標的細胞膜表面に露出したPSはピロリ菌表面に存在するCagAと相互作用する。CagA-PS相互作用の結果、標的細胞膜にボアあるいはチャンネル様の構造が形成され、CagAが細胞質内に移行することが明らかとなった。さらに、PSが結合するCagA分子内領域の同定を行い、分子中央部に存在する2つのアルギニン残基(RxR)が重要な役割を担うことが明らかとなった。このアルギニン残基に変異を導入しPSが結合できなくなったCagA変異体を産生するピロリ菌は、CagAを細胞内に注入する能力を失っていた。宿主胃上皮細胞内に移行したCagAは細胞膜内葉に局在する。CagAの細胞膜局在は、がん化に関わるCagAの病原生物活性に重要な役割を担っているが、CagAと細胞膜との相互作用にも、内葉に濃縮して存在するPSとCagA間の相互作用が関わる。この相互作用は極性化させた上皮細胞において顕著に認められ、上皮極性化により細胞膜のPS含有量が変動する可能性が示唆された。本研究は、CagA-PS相互作用を人為的に阻止することにより、ピロリ菌感染による胃上皮細胞がん化を阻止できる可能性を示唆しており、まったく新たな胃がんの予防法樹立への道を拓くものと考える。
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